【対談】 小俣直彦 × 田中克 + 畠山重篤 (司会:小鮒由起子)

「見えない海がみえるように、会えない人を思えるように」

――田中さん、小俣さんお二方とも、会場の皆さんと同じく、今日初めてお互いのお話を聞いていただきました。まずはご感想からお聞かせください。

田中: 小俣さんの本は読ませていただいてきましたが、お話を伺って一番感じたのは、難民キャンプで起こっていることと、社会の中で起こっていることは同じ問題で、特別なシチュエーションではないということ。

 もうひとつは、――私たちも、こんなところで暖房を効かせ、夏は冷房を効かせて、どなたかのためになるような話をしているけれど――、本来の生き物としては、生きる力、環境に適応する力を放棄し、環境を勝手に変えて生きようとしているとういこと。難民キャンプの中では、厳しい状況の中でみんなが知恵を働かせて助け合いながら、現代社会が忘れてしまっていることが、ちゃんとあるんじゃないか、ということに改めて気づかされました。

 小俣さんは、森里海連環学について、何か感じるものはありましたか?

小俣: 私は正直申し上げて、田中先生がプレゼンされたことについては全くの門外漢です。難民の話を一般の人が知らないのと同様、私も、このようなことが日本で起きているのに無知であり、衝撃を受けました。新しい知識として、陳腐な言い方ですが大変勉強になったというのが一番です。畠山先生とは、拙著の刊行時にお会いする機会があり、その折に本を読ませていただきましたが、まだまだ断片的な知識でしたから、その背後にあるストーリーを今日、教えていただけたのも感じるものが大きかったです。

 反旗を翻した高校生に 長老たちから与えられるしうち。なんといって表現していいか……大変残念な話だと思います。

 森里海連環学は元々生まれる必要のなかった学問だと田中先生はおっしゃいました。私がやっている難民研究も、全く本来は生まれる必要がなかった学問です。

 どうして難民の問題がずっと続いて、オックスフォード大学というところに学科までできたのか。 結局今の我々がこの問題を解決することが難しくなっている。難民問題というのは――ポジティブな面を私は出しましたけど――、明らかにそれは起きないほうがよかったことで、でもそれが起きてしまった、けれど世の中がそれに対する具体的な対処法を見いだせず、この学問が発達してしまっている。非常に同じような背景だと思いました。

 もう1点、同じような仕組みだと思ったのは、「対立軸から協同軸へ」ということです。難民問題や人道支援に関しても、今の世の中の風潮は、できるだけ違う立場の人を敵視するという傾向が強い、それを何とか協同軸に変えていく――これは非常に難しいことですね。言うのは簡単ですが 。私もどうしていいかよくわからないのですが。

田中先生が今言われた、キャンプに暮らす人の生命力については、それ強く感じる機会がたくさんありました。

 本の中にも書いたのですが、私は二人の男性と一緒に暮らしていたので、夕ごはんも一緒に食べていて、とあることから自殺の話になった。(1年間も同居すると、いろいろな話をしました。)

 一時日本では自殺する人が3万人くらいの時がありましたね。その数字を話したら彼らは驚愕した。日本という裕福な国でなぜ、いうと素朴な疑問です。

 逆にキャンプの中で自殺する人はいないのか、と問うと、一人もいない、と言う。なぜなら、キャンプで暮らしている方々というのは、一度、あるいは数回にわたって生死の境を彷徨い、脱して、かろうじて生き延びた人たちです。生きることに対する執着は、いい意味でも悪い意味でも大変強い。

 ちょっとコンテクストは違うかも知れませんが、「日本という裕福な国から来た気楽な学生」として行った外部の人間である私は、彼らのしぶとさというか、 そう簡単にはギブアップしないということを日々目の当たりにしてきました。難民になったという不幸な出来事ではあるのですが、その経験によって、より生きることに真剣になる、ということを学ばされる機会が多かったです。

――なぜ自殺者が多いのかと問われて、小俣さんは何と答えられましたか?

小俣: よくわからない、と答えました。というのは、日本には過労死という言葉がありますが、そういった非常に厳しい労働環境などに置かれて心身ともに病んでしまう方もいるでしょうし、全く別の理由でその道を選ばれた方もいるでしょうし……一般論として語れなかったです。

 だだ彼らは、理由というよりは、自ら命を断つということに衝撃を受けたのです。

――実は、本の反響の中で、このエピソ-ドに対するものが一番大きいのです。おそらく小俣さんがおっしゃったような日本の閉塞した状態、労働環境、あるいは学校――子どもの自殺も多いですよね――、その閉塞を開くことと、森里海が健全になることは、大きく繋がる、何かを見いだせるのではないかと、このイベントの準備段階で赤石さんとも話したのですが、田中さん、いかがでしょう?

田中: 国際的な比較から自殺を見たとき、お隣の韓国はもっと厳しいですね。韓国と日本の関係は未だ残念な状態ですが、幸福度の尺度でみると、ある統計によると57位と58位で肩を並べているんですね。先進国と言われている国がそんな状況で、幸せを失いつつある。

 一見日本は豊かな国に見えるけれど、別の尺度――子どもが心豊かに暮らしていけるか、という尺度からは、決して豊かではない、という見方もできるのではないでしょうか

 心も身体も健全に発育・成長していける物質的なキーワードは、「自然」だと思います。子どもたちのいろんな問題が起こるのも、自然との関わりを断つような社会になってしまったこと、それが大きい。

 これは私が勝手に言っているのではなく、そのことを示す科学的な根拠が生まれつつあります。

 私たちは目に見えるものに価値をおくけれど、目に見えないものにこそ大事なものがいっぱいある。その典型が耳からでは聞こえない音なんです。それは森の中、それから小川のせせらぎのあるところ――自然の豊かなところにあるのです。

 人間の耳から聞こえない音の発生源は、いろいろな生き物で、とくに昆虫です。昆虫のいっぱいいるところには、人間が聞こえない音に満ちている。

 多様な小川があり、多様な木が繁った、そういう環境から生まれる生命の多様性があるところが大事だということです。そういうところに身を置くと、免疫機能が高まるし、ストレスが解消されるし、より心の豊かさを高める――というのは、科学的に明らかにされています。

 そのことも含めて、森里海がきちっと繋がった場所をもう一度ちゃんと紡ぎ直す、それ自身が必要ですし、また、そのことに関わることによって、生き甲斐や前向きな姿勢が出るのではないかという思いがあります。