○三陸沿岸の陸と海を分断する巨大防潮堤――高校生の悲痛な訴え!
気仙沼市小泉地区にある、あまりに大きすぎて見えない、真っ白な巨大なコンクリートの防潮堤が出来上がる過程を見てきました。高さ15メートル、5階建ての建物と同じです。底辺巾は90メートル。おそらく日本最大の防潮堤です。「命を守るため」というものですが、この後背地には農地と道路くらいしかしかありません。住民の皆さんは高台に移られたからです。けれど防潮堤建造は動き出したら止まらなかった。
東日本大震災後の地区の集まりで、高校生の悲痛な訴えがありました。彼は意を決して、「自分はここが好きだ。川にはサケも上るしウナギも上る、シジミもハマグリも採れる、野菜も採れる。ここでずっと生きていきたいから、防潮堤は絶対作らないでください」と泣きながら訴えた。すると地区の長老たちが一喝した。「お前は何もわかっとらん。これを拒否したら、この地区には一切(復興のための)お金がこないんだぞ」。
この防潮堤の背景にはそんなこともあります。
○「間(あいだ)」こそ大事――地震と津波が蘇えらせた湿地保全のために護岸開削
その対極が、森は海の恋人のふるさとの気仙沼市舞根地区です。
東日本大震災の地震と津波が、湿地が甦えらせました。農地として埋め立てた場所が地盤沈下し、そこに70年前の風景が甦ったのです。そうして今、ここを教育・研究の場としつつ、町づくりの拠点にしていくことが進んでいます。
大事なのは、森里海の連続性です。連続性とは「間」です。間こそが大事です。
先ほど小俣さんがおっしゃった、淡々とした日常ということの中にも、「間」というものが関わるかもしれません。この湿地は農地だった時から西舞根川とコンクリートの人工護岸で区切られていました。もはや不要な、それどころか、せっかくの湿地と海の水の出入りを阻むものです。
湿地内に残っていたその一部、10メートルがこの9月に撤去されました。生物を増やすために護岸を撤去する――既存の規定では、それはできないという。前例がないからです。気仙沼市からの問いに対して丹念に資料を捜して提示しながら、認可を得ました。3時間で終わる工事を実現するために、8年かかりました。
でもこれが実現し、前例をつくったことで、社会に大きな風穴を開けたと言えます。
○森は海の恋人30年の蓄積が拓く地域社会の創生
森は海の恋人植樹祭は今年30周年(第31回)を迎えました。海の民と森の民が対話を続け、対立軸ではなく協同軸をつくってきた。
たゆまぬ水循環に根ざした、林業、農業、漁業は支えあってともに歩むべき大事な生業であると言えます。
森里海のつながりで成り立つこの国の縮図的存在が有明海域です。来年(2020年)3月20日に、有明海や諫早湾を眺めながら、「第1回森里海を結ぶ植樹祭」を開催します。「森里海を結ぶ会」が立ち上がり、多良岳の中腹にいろいろな分野や世代の人々が集い、命の源である水を養う広葉樹クヌギの森をつくります。この森は、やがてクワガタ・カブトムシで賑わい、クヌギをほだ木にしたシイタケ栽培を楽しむ親子の歓声が多良岳に響く夢が膨らみます。
森は海の恋人。海は森の恋人。 行動なしにはことは動かない。実学としての森里海連環を一歩進められればということで最後に紹介させていただきまして、私の話を終わります。