京と森の学び舎 特別講義

つながりの断ち切られた社会で希望を見出す〜難民問題と森里海連環が示すもの

開催日:2019年12月18日 18:30~20:30
会 場:キャンパスクラブ京都(ホール)
 
講  演:小俣直彦(オックスフォード大学国際開発学部 准教授)
     田中 克(京都大学 名誉教授)
対談司会:小鮒由起子(こぶな書店編集者)
コメント:畠山重篤(京都大学 社会連携教授)
企画・進行:赤石大輔(京都大学 特定助教)

 森里海の再生や自然保護、地域活性化について京大の研究者と市民の方々が学びあう勉強会「京と森の学び舎」。

今回は森里海連環学の重要テーマである自然と自然、自然と人、人と人の分断について、どのように捉え、それを改善していけるかを考える特別講義の様子を報告します。

特別講義では、書籍『アフリカの難民キャンプで暮らす』の著者・小俣直彦氏、森里海連環学の創始者である、初代京都大学フィールド科学教育研究センター長の田中克氏(稚仔魚の生活史研究)、同社会連携教授で「森は海の恋人」主宰者の畠山重篤氏(カキ養殖業)を迎え、難民問題における国、民族、地域と人の分断などについて参加者と共有するとともに、様々な社会の分断についての対話を試みました。

■第1部

【講演1】小俣直彦 「分断から再生へ:ブジュラム難民キャンプから見えたもの」

(概要)「難民になる」ということは「分断」、そしてその分断から生まれる喪失の問題と考えられる。国家からの分断、家族・友人を含めたコミュニティーからの分断、そして慣れ親しんだ社会・文化・風習からの分断。祖国の保護から分断された難民らが異国の地で暮らすのが難民キャンプ。だが、難民となった人々は避難先の新天地で、分断から生まれた喪失を埋めるべく再生のプロセスに取り組む。西アフリカのガーナにあるブジュブラム難民キャンプでは凄惨な内戦により祖国リベリアを追われた難民たちが新たな人間関係を構築し、独自の社会・経済を生み出していた。本書では普段、世間の耳目を集めることのない難民キャンプに暮らす人々の日々の生活に焦点を当てた。現在、世界にはおよそ2600万人の難民がいるが、彼らに対する世間の視線は年々冷淡になってきている。その背景には難民という立場に置かれた人々を「私たち(us)」とはかけ離れた異質な存在である「彼ら(them)」として分断する思考が働いている。日本における難民問題への関心の欠落の背景にも彼ら難民に対する我々の想像力の欠如が大きく影響しているのではないか。本書は難民キャンプの「日常」を照らし出すことで、我々と難民との間の距離を縮めることを目指した。難民問題を別世界で起こっている「国際問題」ではなく、我々自身の問題として捉えることが必要であり、それは今後、ますます異国の人々との共存を求められる日本人にとって重要な宿題でもある。

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【講演2】田中 克「森里海連環学は自己消滅を目指す――“つながり”を紡ぎ直す」

(講演録)

田中「難民問題と森里海連環学、ひょっとしたら根底では共通の部分があるのではないか、とチラッと口を滑らせたのが災いのもとで(笑)、ここに立つハメになりました。今、小俣さんから本質的な問題を聞いて、改めて、我々が抱えている問題も難民の皆さんが抱えている問題も、本当に共通の問題だなあと感じました。そんなことも含めて、では、どうしたらそれを少しはまともなほうに変えられるか、という視点でお話をさせていただきたいと思います。」

【総論】森里海連環学は自己消滅を目指す

「協働する世界を拓く」として、森里海連環学が動きだしたのは、2003年でした。それに先駆けて、1989年には、今日ここにおみえになっている畠山重篤さんが主宰する社会運動「森は海の恋人」が誕生していました。

 森里海連環学は自己消滅を目指す学問です。

 森と海がちゃんと繋がって、里の人々が自然と共に生きる――そんな社会だったらこの学問は要らなかった。森里海連環学は、それが不要な社会を目指す学問であります。

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■第2部【対談】 小俣直彦×田中克 +畠山重篤 (司会:小鮒由起子)

「見えない海がみえるように、会えない人を思えるように」

――田中さん、小俣さんお二方とも、会場の皆さんと同じく、今日初めてお互いのお話を聞いていただきました。まずはご感想からお聞かせください。

田中: 小俣さんの本は読ませていただいてきましたが、お話を伺って一番感じたのは、難民キャンプで起こっていることと、社会の中で起こっていることは同じ問題で、特別なシチュエーションではないということ。

 もうひとつは、――私たちも、こんなところで暖房を効かせ、夏は冷房を効かせて、どなたかのためになるような話をしているけれど――、本来の生き物としては、生きる力、環境に適応する力を放棄し、環境を勝手に変えて生きようとしているとういこと。難民キャンプの中では、厳しい状況の中でみんなが知恵を働かせて助け合いながら、現代社会が忘れてしまっていることが、ちゃんとあるんじゃないか、ということに改めて気づかされました。

 小俣さんは、森里海連環学について、何か感じるものはありましたか?

小俣: 私は正直申し上げて、田中先生がプレゼンされたことについては全くの門外漢です。難民の話を一般の人が知らないのと同様、私も、このようなことが日本で起きているのに無知であり、衝撃を受けました。新しい知識として、陳腐な言い方ですが大変勉強になったというのが一番です。畠山先生とは、拙著の刊行時にお会いする機会があり、その折に本を読ませていただきましたが、まだまだ断片的な知識でしたから、その背後にあるストーリーを今日、教えていただけたのも感じるものが大きかったです。

 反旗を翻した高校生に 長老たちから与えられるしうち。なんといって表現していいか……大変残念な話だと思います。

 森里海連環学は元々生まれる必要のなかった学問だと田中先生はおっしゃいました。私がやっている難民研究も、全く本来は生まれる必要がなかった学問です。

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■第3部【意見交換】

 参加者が8人ほどずつで円卓を囲み、登壇者と京都大学フィールド科学教育研究センターのセンター長・徳地直子氏と同・赤石大輔氏も各テーブルに散って加わり、対話に参加した。30分間ほどであったが、和やかに活発に話が弾んだ。

 参加者は高校生からシニアまでと年齢層も広く、職業も教育・保育関係者、行政機関関係者、エンジニア、デザイナー、環境NPOの方など多彩であった。

 書き残された感想のコメントの一部を下記に紹介する。

  • 難民のことは全く知らなかったので新鮮だった。・1年間、この学び舎で森里海の話を聞いてきたので、今回はどんな内容になるか想像がつかなかったが、「まずは知ること」と、興味深く聞いた。
  • テーブルでの対話では、皆さん全く違う立場の市民だったが、「生きる力」「行動へ移す」「継続する」「再生」について具体的に話すことができ、刺激的だった。
  • 分断という言葉は日常の中では使わないが、その意味することは、自分の身に、そして身近に起きていることと重なった。難民についても興味が湧いた。

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