田中 克「“つながり”を紡ぎ直す」

1.【総論】森里海連環学は自己消滅を目指す

「協働する世界を拓く」として、森里海連環学が動きだしたのは、2003年でした。それに先駆けて、1989年には、今日ここにおみえになっている畠山重篤さんが主宰する社会運動「森は海の恋人」が誕生していました。

 森里海連環学は自己消滅を目指す学問です。

 森と海がちゃんと繋がって、里の人々が自然と共に生きる――そんな社会だったらこの学問は要らなかった。森里海連環学は、それが不要な社会を目指す学問であります。

○水循環は繋がりの象徴

 生命系としての地球の根底は、陸と海の水循環にあります。すべての命はそこから生まれる。水循環は“つながり”の象徴です。いろいろなことが根底で繋がっているということを象徴する学問が森里海連環学だろうと思います。

 では分断や対立の根底には何があるのか――

 いろいろあると思いますが、水との関わりで言えば、森という陸域生態系の水循環の源が地球からどんどん減っていること。そして、海洋生態系は命が生まれた究極のふるさとですが、それに対しての無関心。

 そのツケがどっと返ってきています。

 そして何よりも皆さん、もちろん私も含めて、陸に上がった魚なんですよ。ということをちょっと考えてみると面白いかと思います。ではなぜ魚は陸地に上がったか。それは海と陸との悠久の水循環があるからこそです。だから人の祖先は究極の選択として陸に上がってこられたのです。

 そして「史上最強」となった。

 難民問題にとって大事なこととして、一つの生物種であるヒトの営み(里)の超巨大化――圧倒的に人間の数が増えすぎて、制御できていないということが大きな背景にあるでしょう。

 それがいろいろな歪(いびつ)を生み出している。

 生物の歴史から見ると、強者は必ず絶滅する。そして新しい進化を切り開いていくのは弱者なんです。盛者必衰の理、そんなことも思い起こします。陸に上がった最初の魚、脊椎を持った魚――私たちは、弱い魚だった、それが究極の選択をしたのです。

○“哲学”であり、“実学”である「森里海連環学」の存在

「森川海連環学」ではなく、「森里海連環学」としたことが大変難しいところです。が、こうしなかったら今のような広がりはなかったと思います。

森里海連環学は、里のありよう、人のありようを問う学問です。

 これまでの学問や研究は、科学的知見の論文を出せば社会的評価も受けた。けれどいくら素晴らしい論文が富士山より高く積まれても、地球はもう少しすると、ひょっとしたら破壊するかも知れない、それを止められない。では、学問・研究として、新たな再生までの道筋をつけたい、せめて流れを生み出すところまで――というのが森里海連環学のもうひとつの側面だと思います。森と海の本来のつながりをもとに戻すことまでをゴールとする。

 それは哲学であり、同時に実学――現実を変えるという力がなかっら、歴史のくずかごに放り込まれる、そんな気がします。

 愚かで不幸な分断・対立を越え、協働する未来を我々は選択できるかどうか。瀬戸際だと思います。

 10年余り先行する社会運動「森は海の恋人」と統合学問「森里海連環学」が協働する世界を拓く――自然の姿からものを考え、ことを起こした先行する社会運動を、ちゃんと科学的に補強するのが学問であるという思いです。