【意見交換】

 参加者が8人ほどずつで円卓を囲み、登壇者と京都大学フィールド科学教育研究センターのセンター長・徳地直子氏と同・赤石大輔氏も各テーブルに散って加わり、対話に参加した。30分間ほどであったが、和やかに活発に話が弾んだ。

 参加者は高校生からシニアまでと年齢層も広く、職業も教育・保育関係者、行政機関関係者、エンジニア、デザイナー、環境NPOの方など多彩であった。

 書き残された感想のコメントの一部を下記に紹介する。

  • 難民のことは全く知らなかったので新鮮だった。
  • 1年間、この学び舎で森里海の話を聞いてきたので、今回はどんな内容になるか想像がつかなかったが、「まずは知ること」と、興味深く聞いた。
  • テーブルでの対話では、皆さん全く違う立場の市民だったが、「生きる力」「行動へ移す」「継続する」「再生」について具体的に話すことができ、刺激的だった。
  • 分断という言葉は日常の中では使わないが、その意味することは、自分の身に、そして身近に起きていることと重なった。難民についても興味が湧いた。
  • 学問は実働をサポートするという話が印象的だった。
  • 一見別の問題も根本は同じというテーマで、学びに多様性が生まれた。こういうのは良いと思った。
  • 難民というテーマに興味を持って参加したが、「分断」ということで問題が繋がることに、より興味を持った。
  • 分断というキーワードで考える森里海が面白かった。
  • 難民について本当に無知だったが、「分断・喪失」から「再生・再構築」という視点が大変新鮮だった。
  • テーブルでの対話の中で「会社も難民キャンプに似ている」という話になり、非常に参考になった。
  • 様々な立場の人との話は、とても楽しく有難いことだった。会社と難民キャンプは意外と近い社会のように感じた。
  • 分断とは承認欲求の広がりから生まれるのだと、腑に落ちた。
  • 難民についていかに自分が知らないかを実感した。森里海についてもまず「知る」ことが大事だと改めて思った。
  • 分断の要因。豊かさの尺度。人文知。様々なことを横軸にして考える機会になった。
  • 難民と森里海という、今まで交わることまなかった問題から、新たな視点を持つことができてよかった。
  • 難民という言葉のネガティブなイメージが、小俣先生のお話で90度くらい変わった気持ちになった。
  • 津波によって自然が戻った写真を見て、ポジティブな方に変われた。
  • 難民の人の言葉を聞いて、そこで生きている人たちの頑張りも心に留めて自分も生きて、応援できる自分にもなりたいと思った。

【対談】 小俣直彦 × 田中克 + 畠山重篤 (司会:小鮒由起子)

「見えない海がみえるように、会えない人を思えるように」

――田中さん、小俣さんお二方とも、会場の皆さんと同じく、今日初めてお互いのお話を聞いていただきました。まずはご感想からお聞かせください。

田中: 小俣さんの本は読ませていただいてきましたが、お話を伺って一番感じたのは、難民キャンプで起こっていることと、社会の中で起こっていることは同じ問題で、特別なシチュエーションではないということ。

 もうひとつは、――私たちも、こんなところで暖房を効かせ、夏は冷房を効かせて、どなたかのためになるような話をしているけれど――、本来の生き物としては、生きる力、環境に適応する力を放棄し、環境を勝手に変えて生きようとしているとういこと。難民キャンプの中では、厳しい状況の中でみんなが知恵を働かせて助け合いながら、現代社会が忘れてしまっていることが、ちゃんとあるんじゃないか、ということに改めて気づかされました。

 小俣さんは、森里海連環学について、何か感じるものはありましたか?

小俣: 私は正直申し上げて、田中先生がプレゼンされたことについては全くの門外漢です。難民の話を一般の人が知らないのと同様、私も、このようなことが日本で起きているのに無知であり、衝撃を受けました。新しい知識として、陳腐な言い方ですが大変勉強になったというのが一番です。畠山先生とは、拙著の刊行時にお会いする機会があり、その折に本を読ませていただきましたが、まだまだ断片的な知識でしたから、その背後にあるストーリーを今日、教えていただけたのも感じるものが大きかったです。

 反旗を翻した高校生に 長老たちから与えられるしうち。なんといって表現していいか……大変残念な話だと思います。

 森里海連環学は元々生まれる必要のなかった学問だと田中先生はおっしゃいました。私がやっている難民研究も、全く本来は生まれる必要がなかった学問です。

 どうして難民の問題がずっと続いて、オックスフォード大学というところに学科までできたのか。 結局今の我々がこの問題を解決することが難しくなっている。難民問題というのは――ポジティブな面を私は出しましたけど――、明らかにそれは起きないほうがよかったことで、でもそれが起きてしまった、けれど世の中がそれに対する具体的な対処法を見いだせず、この学問が発達してしまっている。非常に同じような背景だと思いました。

 もう1点、同じような仕組みだと思ったのは、「対立軸から協同軸へ」ということです。難民問題や人道支援に関しても、今の世の中の風潮は、できるだけ違う立場の人を敵視するという傾向が強い、それを何とか協同軸に変えていく――これは非常に難しいことですね。言うのは簡単ですが 。私もどうしていいかよくわからないのですが。

田中先生が今言われた、キャンプに暮らす人の生命力については、それ強く感じる機会がたくさんありました。

 本の中にも書いたのですが、私は二人の男性と一緒に暮らしていたので、夕ごはんも一緒に食べていて、とあることから自殺の話になった。(1年間も同居すると、いろいろな話をしました。)

 一時日本では自殺する人が3万人くらいの時がありましたね。その数字を話したら彼らは驚愕した。日本という裕福な国でなぜ、いうと素朴な疑問です。

 逆にキャンプの中で自殺する人はいないのか、と問うと、一人もいない、と言う。なぜなら、キャンプで暮らしている方々というのは、一度、あるいは数回にわたって生死の境を彷徨い、脱して、かろうじて生き延びた人たちです。生きることに対する執着は、いい意味でも悪い意味でも大変強い。

 ちょっとコンテクストは違うかも知れませんが、「日本という裕福な国から来た気楽な学生」として行った外部の人間である私は、彼らのしぶとさというか、 そう簡単にはギブアップしないということを日々目の当たりにしてきました。難民になったという不幸な出来事ではあるのですが、その経験によって、より生きることに真剣になる、ということを学ばされる機会が多かったです。

――なぜ自殺者が多いのかと問われて、小俣さんは何と答えられましたか?

小俣: よくわからない、と答えました。というのは、日本には過労死という言葉がありますが、そういった非常に厳しい労働環境などに置かれて心身ともに病んでしまう方もいるでしょうし、全く別の理由でその道を選ばれた方もいるでしょうし……一般論として語れなかったです。

 だだ彼らは、理由というよりは、自ら命を断つということに衝撃を受けたのです。

――実は、本の反響の中で、このエピソ-ドに対するものが一番大きいのです。おそらく小俣さんがおっしゃったような日本の閉塞した状態、労働環境、あるいは学校――子どもの自殺も多いですよね――、その閉塞を開くことと、森里海が健全になることは、大きく繋がる、何かを見いだせるのではないかと、このイベントの準備段階で赤石さんとも話したのですが、田中さん、いかがでしょう?

田中: 国際的な比較から自殺を見たとき、お隣の韓国はもっと厳しいですね。韓国と日本の関係は未だ残念な状態ですが、幸福度の尺度でみると、ある統計によると57位と58位で肩を並べているんですね。先進国と言われている国がそんな状況で、幸せを失いつつある。

 一見日本は豊かな国に見えるけれど、別の尺度――子どもが心豊かに暮らしていけるか、という尺度からは、決して豊かではない、という見方もできるのではないでしょうか

 心も身体も健全に発育・成長していける物質的なキーワードは、「自然」だと思います。子どもたちのいろんな問題が起こるのも、自然との関わりを断つような社会になってしまったこと、それが大きい。

 これは私が勝手に言っているのではなく、そのことを示す科学的な根拠が生まれつつあります。

 私たちは目に見えるものに価値をおくけれど、目に見えないものにこそ大事なものがいっぱいある。その典型が耳からでは聞こえない音なんです。それは森の中、それから小川のせせらぎのあるところ――自然の豊かなところにあるのです。

 人間の耳から聞こえない音の発生源は、いろいろな生き物で、とくに昆虫です。昆虫のいっぱいいるところには、人間が聞こえない音に満ちている。

 多様な小川があり、多様な木が繁った、そういう環境から生まれる生命の多様性があるところが大事だということです。そういうところに身を置くと、免疫機能が高まるし、ストレスが解消されるし、より心の豊かさを高める――というのは、科学的に明らかにされています。

 そのことも含めて、森里海がきちっと繋がった場所をもう一度ちゃんと紡ぎ直す、それ自身が必要ですし、また、そのことに関わることによって、生き甲斐や前向きな姿勢が出るのではないかという思いがあります。

田中 克「“つながり”を紡ぎ直す」

1.【総論】森里海連環学は自己消滅を目指す

「協働する世界を拓く」として、森里海連環学が動きだしたのは、2003年でした。それに先駆けて、1989年には、今日ここにおみえになっている畠山重篤さんが主宰する社会運動「森は海の恋人」が誕生していました。

 森里海連環学は自己消滅を目指す学問です。

 森と海がちゃんと繋がって、里の人々が自然と共に生きる――そんな社会だったらこの学問は要らなかった。森里海連環学は、それが不要な社会を目指す学問であります。

○水循環は繋がりの象徴

 生命系としての地球の根底は、陸と海の水循環にあります。すべての命はそこから生まれる。水循環は“つながり”の象徴です。いろいろなことが根底で繋がっているということを象徴する学問が森里海連環学だろうと思います。

 では分断や対立の根底には何があるのか――

 いろいろあると思いますが、水との関わりで言えば、森という陸域生態系の水循環の源が地球からどんどん減っていること。そして、海洋生態系は命が生まれた究極のふるさとですが、それに対しての無関心。

 そのツケがどっと返ってきています。

 そして何よりも皆さん、もちろん私も含めて、陸に上がった魚なんですよ。ということをちょっと考えてみると面白いかと思います。ではなぜ魚は陸地に上がったか。それは海と陸との悠久の水循環があるからこそです。だから人の祖先は究極の選択として陸に上がってこられたのです。

 そして「史上最強」となった。

 難民問題にとって大事なこととして、一つの生物種であるヒトの営み(里)の超巨大化――圧倒的に人間の数が増えすぎて、制御できていないということが大きな背景にあるでしょう。

 それがいろいろな歪(いびつ)を生み出している。

 生物の歴史から見ると、強者は必ず絶滅する。そして新しい進化を切り開いていくのは弱者なんです。盛者必衰の理、そんなことも思い起こします。陸に上がった最初の魚、脊椎を持った魚――私たちは、弱い魚だった、それが究極の選択をしたのです。

○“哲学”であり、“実学”である「森里海連環学」の存在

「森川海連環学」ではなく、「森里海連環学」としたことが大変難しいところです。が、こうしなかったら今のような広がりはなかったと思います。

森里海連環学は、里のありよう、人のありようを問う学問です。

 これまでの学問や研究は、科学的知見の論文を出せば社会的評価も受けた。けれどいくら素晴らしい論文が富士山より高く積まれても、地球はもう少しすると、ひょっとしたら破壊するかも知れない、それを止められない。では、学問・研究として、新たな再生までの道筋をつけたい、せめて流れを生み出すところまで――というのが森里海連環学のもうひとつの側面だと思います。森と海の本来のつながりをもとに戻すことまでをゴールとする。

 それは哲学であり、同時に実学――現実を変えるという力がなかっら、歴史のくずかごに放り込まれる、そんな気がします。

 愚かで不幸な分断・対立を越え、協働する未来を我々は選択できるかどうか。瀬戸際だと思います。

 10年余り先行する社会運動「森は海の恋人」と統合学問「森里海連環学」が協働する世界を拓く――自然の姿からものを考え、ことを起こした先行する社会運動を、ちゃんと科学的に補強するのが学問であるという思いです。

小俣直彦「分断から再生へ:ブジュラム難民キャンプから見えたもの」

「Listen  to our  voices.―我々の声を聞いてくれ」。

 皆さん、こんばんは。

 私は国際学部難民研究センターというところで仕事をしています。「センター」とは日本の大学における「学科」と理解してください。ここは難民研究に特化した世界で一番古い研究機関です。とはいえ、設立は1982年のことで、この学問自体がとても新しいということです。

 難民になるとは、基本的にたくさんのハンディキャップを背負うことです。移動の自由が極端に制限される、銀行口座が開けない、労働市場への参画が制限される――そんなの中で難民の人たちは様々な経済活動にいそしんで、日々の生活を成り立たせている。そのプロセスがどうなっているかを研究するのが私の主なテーマです。

 私は2012年からオックスフォード大学で働いていますが、今日お話しするのは、私がオックスフォード大学で働く前、ロンドン大学博士課程の時に調査のために滞在した、西アフリカ・ガーナのブジュブラム難民キャンプのことです。二人の男性の家に一部屋を借りて400日間居候し、一緒に暮らしました。その体験を書いた本が『アフリカの難民キャンプで暮らす』です。私は大学の教員ですが、これは学術書ではく、むしろルポルタージュ、あるいはノンフィクション作品で、難民キャンプに暮らす人々の日常生活を描いています。

 なぜ日常生活にフォーカスを当てたのか。

 皆さん「難民」という言葉をきいて、どういうことをイメージされるでしょう。おそらく一般的には、沈没しそうな難民船で海を渡る人、瓦礫の中で助けを求める人、支援物資に群がる人……などではないかと思います。たとえば、グーグルで「refugee(難民)」「イメージ」の検索ワードで最初に上がってくるのはそういった写真てす。

 2015~16年頃、地中海を渡ってヨーロッパを目指すアフリカの難民たちが話題になり、世界的にニュースが一気に難民のことを取り上げたときに、こういう画像が使われました。 メディアの人たちは消費されるための情報をつくりますから、どうしても見た人の関心を引き易いセンセーショナルな画像が出ます。

 それらは、確かに難民の人たちの一部ではあるのですが、あまりにも偏っているのは間違いないのです。そんなイメージに日常的にさらさると、おそらく難民の人に対していいイメージが湧いてこないでしょう。無力感、脆弱さ、あるいは……何といったらいいでしょう……助けを求めないと生活できないような、悲惨なイメージが植え付けられます。

 この人たちは英語でいう「ボイスレス(voiceless)」――「声なき人々」なんですね。画像だけはどんどん出回りますが、彼らの声というのは我々のもとに聞こえてこない。本の冒頭に書きましたが、私が言われた言葉があります。「Listen  to our  voices.―我々の声を聞いてくれ」。

 ネガティブなイメージを植え付けられると、どうしても誤解のようなものが生まれ易い。その誤解を解いていくために、どうしたらいいかと考えたときに、彼らの普段着の姿を描くのがいいのでは、と思った。キャンプで長く暮らすという経験をさせてもらった自分の特性を生かして、誤解を解くためにこの本を執筆しました。特別な事件か登場するわけではないのですが、彼らの日常を淡々と書きました。

 さて、今日のテーマである「分断」。難民の問題を「分断」という切り口から見ると、どんなことが言えるのか。

・分断から生まれる難民、その喪失、再生プロセスについて。

・難民の中から生まれる新たな喪失と再生について。

・最後に、難民問題というものを我々の問題として捉えるということを目ざし、コンクルージョン的に皆さんに投げかけたいと思います。

京と森の学び舎 特別講義

つながりの断ち切られた社会で希望を見出す〜難民問題と森里海連環が示すもの

開催日:2019年12月18日 18:30~20:30
会 場:キャンパスクラブ京都(ホール)
 
講  演:小俣直彦(オックスフォード大学国際開発学部 准教授)
     田中 克(京都大学 名誉教授)
対談司会:小鮒由起子(こぶな書店編集者)
コメント:畠山重篤(京都大学 社会連携教授)
企画・進行:赤石大輔(京都大学 特定助教)

 森里海の再生や自然保護、地域活性化について京大の研究者と市民の方々が学びあう勉強会「京と森の学び舎」。

今回は森里海連環学の重要テーマである自然と自然、自然と人、人と人の分断について、どのように捉え、それを改善していけるかを考える特別講義の様子を報告します。

特別講義では、書籍『アフリカの難民キャンプで暮らす』の著者・小俣直彦氏、森里海連環学の創始者である、初代京都大学フィールド科学教育研究センター長の田中克氏(稚仔魚の生活史研究)、同社会連携教授で「森は海の恋人」主宰者の畠山重篤氏(カキ養殖業)を迎え、難民問題における国、民族、地域と人の分断などについて参加者と共有するとともに、様々な社会の分断についての対話を試みました。

■第1部

【講演1】小俣直彦 「分断から再生へ:ブジュラム難民キャンプから見えたもの」

(概要)「難民になる」ということは「分断」、そしてその分断から生まれる喪失の問題と考えられる。国家からの分断、家族・友人を含めたコミュニティーからの分断、そして慣れ親しんだ社会・文化・風習からの分断。祖国の保護から分断された難民らが異国の地で暮らすのが難民キャンプ。だが、難民となった人々は避難先の新天地で、分断から生まれた喪失を埋めるべく再生のプロセスに取り組む。西アフリカのガーナにあるブジュブラム難民キャンプでは凄惨な内戦により祖国リベリアを追われた難民たちが新たな人間関係を構築し、独自の社会・経済を生み出していた。本書では普段、世間の耳目を集めることのない難民キャンプに暮らす人々の日々の生活に焦点を当てた。現在、世界にはおよそ2600万人の難民がいるが、彼らに対する世間の視線は年々冷淡になってきている。その背景には難民という立場に置かれた人々を「私たち(us)」とはかけ離れた異質な存在である「彼ら(them)」として分断する思考が働いている。日本における難民問題への関心の欠落の背景にも彼ら難民に対する我々の想像力の欠如が大きく影響しているのではないか。本書は難民キャンプの「日常」を照らし出すことで、我々と難民との間の距離を縮めることを目指した。難民問題を別世界で起こっている「国際問題」ではなく、我々自身の問題として捉えることが必要であり、それは今後、ますます異国の人々との共存を求められる日本人にとって重要な宿題でもある。

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【講演2】田中 克「森里海連環学は自己消滅を目指す――“つながり”を紡ぎ直す」

(講演録)

田中「難民問題と森里海連環学、ひょっとしたら根底では共通の部分があるのではないか、とチラッと口を滑らせたのが災いのもとで(笑)、ここに立つハメになりました。今、小俣さんから本質的な問題を聞いて、改めて、我々が抱えている問題も難民の皆さんが抱えている問題も、本当に共通の問題だなあと感じました。そんなことも含めて、では、どうしたらそれを少しはまともなほうに変えられるか、という視点でお話をさせていただきたいと思います。」

【総論】森里海連環学は自己消滅を目指す

「協働する世界を拓く」として、森里海連環学が動きだしたのは、2003年でした。それに先駆けて、1989年には、今日ここにおみえになっている畠山重篤さんが主宰する社会運動「森は海の恋人」が誕生していました。

 森里海連環学は自己消滅を目指す学問です。

 森と海がちゃんと繋がって、里の人々が自然と共に生きる――そんな社会だったらこの学問は要らなかった。森里海連環学は、それが不要な社会を目指す学問であります。

続きはこちら

■第2部【対談】 小俣直彦×田中克 +畠山重篤 (司会:小鮒由起子)

「見えない海がみえるように、会えない人を思えるように」

――田中さん、小俣さんお二方とも、会場の皆さんと同じく、今日初めてお互いのお話を聞いていただきました。まずはご感想からお聞かせください。

田中: 小俣さんの本は読ませていただいてきましたが、お話を伺って一番感じたのは、難民キャンプで起こっていることと、社会の中で起こっていることは同じ問題で、特別なシチュエーションではないということ。

 もうひとつは、――私たちも、こんなところで暖房を効かせ、夏は冷房を効かせて、どなたかのためになるような話をしているけれど――、本来の生き物としては、生きる力、環境に適応する力を放棄し、環境を勝手に変えて生きようとしているとういこと。難民キャンプの中では、厳しい状況の中でみんなが知恵を働かせて助け合いながら、現代社会が忘れてしまっていることが、ちゃんとあるんじゃないか、ということに改めて気づかされました。

 小俣さんは、森里海連環学について、何か感じるものはありましたか?

小俣: 私は正直申し上げて、田中先生がプレゼンされたことについては全くの門外漢です。難民の話を一般の人が知らないのと同様、私も、このようなことが日本で起きているのに無知であり、衝撃を受けました。新しい知識として、陳腐な言い方ですが大変勉強になったというのが一番です。畠山先生とは、拙著の刊行時にお会いする機会があり、その折に本を読ませていただきましたが、まだまだ断片的な知識でしたから、その背後にあるストーリーを今日、教えていただけたのも感じるものが大きかったです。

 反旗を翻した高校生に 長老たちから与えられるしうち。なんといって表現していいか……大変残念な話だと思います。

 森里海連環学は元々生まれる必要のなかった学問だと田中先生はおっしゃいました。私がやっている難民研究も、全く本来は生まれる必要がなかった学問です。

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■第3部【意見交換】

 参加者が8人ほどずつで円卓を囲み、登壇者と京都大学フィールド科学教育研究センターのセンター長・徳地直子氏と同・赤石大輔氏も各テーブルに散って加わり、対話に参加した。30分間ほどであったが、和やかに活発に話が弾んだ。

 参加者は高校生からシニアまでと年齢層も広く、職業も教育・保育関係者、行政機関関係者、エンジニア、デザイナー、環境NPOの方など多彩であった。

 書き残された感想のコメントの一部を下記に紹介する。

  • 難民のことは全く知らなかったので新鮮だった。・1年間、この学び舎で森里海の話を聞いてきたので、今回はどんな内容になるか想像がつかなかったが、「まずは知ること」と、興味深く聞いた。
  • テーブルでの対話では、皆さん全く違う立場の市民だったが、「生きる力」「行動へ移す」「継続する」「再生」について具体的に話すことができ、刺激的だった。
  • 分断という言葉は日常の中では使わないが、その意味することは、自分の身に、そして身近に起きていることと重なった。難民についても興味が湧いた。

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