小俣直彦「分断から再生へ:ブジュラム難民キャンプから見えたもの」

「Listen  to our  voices.―我々の声を聞いてくれ」。

 皆さん、こんばんは。

 私は国際学部難民研究センターというところで仕事をしています。「センター」とは日本の大学における「学科」と理解してください。ここは難民研究に特化した世界で一番古い研究機関です。とはいえ、設立は1982年のことで、この学問自体がとても新しいということです。

 難民になるとは、基本的にたくさんのハンディキャップを背負うことです。移動の自由が極端に制限される、銀行口座が開けない、労働市場への参画が制限される――そんなの中で難民の人たちは様々な経済活動にいそしんで、日々の生活を成り立たせている。そのプロセスがどうなっているかを研究するのが私の主なテーマです。

 私は2012年からオックスフォード大学で働いていますが、今日お話しするのは、私がオックスフォード大学で働く前、ロンドン大学博士課程の時に調査のために滞在した、西アフリカ・ガーナのブジュブラム難民キャンプのことです。二人の男性の家に一部屋を借りて400日間居候し、一緒に暮らしました。その体験を書いた本が『アフリカの難民キャンプで暮らす』です。私は大学の教員ですが、これは学術書ではく、むしろルポルタージュ、あるいはノンフィクション作品で、難民キャンプに暮らす人々の日常生活を描いています。

 なぜ日常生活にフォーカスを当てたのか。

 皆さん「難民」という言葉をきいて、どういうことをイメージされるでしょう。おそらく一般的には、沈没しそうな難民船で海を渡る人、瓦礫の中で助けを求める人、支援物資に群がる人……などではないかと思います。たとえば、グーグルで「refugee(難民)」「イメージ」の検索ワードで最初に上がってくるのはそういった写真てす。

 2015~16年頃、地中海を渡ってヨーロッパを目指すアフリカの難民たちが話題になり、世界的にニュースが一気に難民のことを取り上げたときに、こういう画像が使われました。 メディアの人たちは消費されるための情報をつくりますから、どうしても見た人の関心を引き易いセンセーショナルな画像が出ます。

 それらは、確かに難民の人たちの一部ではあるのですが、あまりにも偏っているのは間違いないのです。そんなイメージに日常的にさらさると、おそらく難民の人に対していいイメージが湧いてこないでしょう。無力感、脆弱さ、あるいは……何といったらいいでしょう……助けを求めないと生活できないような、悲惨なイメージが植え付けられます。

 この人たちは英語でいう「ボイスレス(voiceless)」――「声なき人々」なんですね。画像だけはどんどん出回りますが、彼らの声というのは我々のもとに聞こえてこない。本の冒頭に書きましたが、私が言われた言葉があります。「Listen  to our  voices.―我々の声を聞いてくれ」。

 ネガティブなイメージを植え付けられると、どうしても誤解のようなものが生まれ易い。その誤解を解いていくために、どうしたらいいかと考えたときに、彼らの普段着の姿を描くのがいいのでは、と思った。キャンプで長く暮らすという経験をさせてもらった自分の特性を生かして、誤解を解くためにこの本を執筆しました。特別な事件か登場するわけではないのですが、彼らの日常を淡々と書きました。

 さて、今日のテーマである「分断」。難民の問題を「分断」という切り口から見ると、どんなことが言えるのか。

・分断から生まれる難民、その喪失、再生プロセスについて。

・難民の中から生まれる新たな喪失と再生について。

・最後に、難民問題というものを我々の問題として捉えるということを目ざし、コンクルージョン的に皆さんに投げかけたいと思います。