小俣直彦「分断から再生へ:ブジュラム難民キャンプから見えたもの」

1.「難民問題」を分断としてとらえる

「難民になる」ということの意味――国家・家族・コミュニテイ・慣れ親しんだ社会・文化・風習からの分断、そもそも難民とはどういう人たちか――

 宗教や政治的意見の違いなどによる迫害、内戦・戦争による紛争によって自分の国から逃げ出さなければならず、国境を越えて他国に避難先を求めた人たち。それを「難民」と国際法上定義しています。1951年に国連で採択された条約*の中で明確にうたわれている。

(*「難民の地位に関する条約」では、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受ける、あるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた人々」と定義している)

 では、難民状態をどう考えるか――最大のポイントは、母国で保護を受けられず、国外に庇護を求めざるをえないこと。我々は基本的に自分の所属する国家の庇護を受けています。難民とは、そこから分断された人たちです。

 私は本書では「分断」という言葉は使わず「喪失」と書いていますが、英語でいう「loss」――彼らは非常に多くのものから切り離される。家族、友人を含めたコミュニテイ、慣れ親しんだ社会・文化・風習。さらにもっと具体的には、土地や資産、政権手段からも切り離され失うということです。

難民キャンプ――祖国の保護から分断され、異国の地で暮らす

 難民になるということは、発端に分断あるいは喪失があるが、難民の人たちはそこで留まっているわけではないのです。そこからよりよい生活への再生・再構築が同時に始まる。難民とは再生・再構築へのプロセスでもあります。

 出逢いもあります。難民キャンプは、それまで別々に住んでいた者同士がいっしょくたに置かれる、ある種人工的な空間ですが、その中で新しい友人関係が生まれ、恋愛関係も生まれ、結婚もそして離婚もあって、出産もあって新しい家庭が生まれます。

 そしてその人たちの結合体であるコミュニティが生まれて、その後には、経済活動や商業活動、あるいは政治活動のようなことが生まれてきます。

 俯瞰的に見ると難民キャンプの中にも彼らが作り上げた社会、ソサエティが生まれてくると言えます。