【対談】 小俣直彦 × 田中克 + 畠山重篤 (司会:小鮒由起子)

難民問題の非常に根本的な問題も、森は海の恋人――川の流域の環境を調えるということと物凄く関係している

 では最後に、希望の言葉しか語彙にない畠山さんにコメントをいただきます。

畠山: では希望の言葉を述べます(笑)。

 私は「畠山」といって三陸地方の気仙沼から来ていますが、室町時代にそのあたりは日本最大の金の産地だったそうです。京都のある武将の家来に畠山一族というのがあり、その一族が金の管理のために三陸に遣わされた、その子孫ということになっております。それが森は海の恋人運動を立ち上げて十数年経った時、京都大学に田中先生を中心とする森里海連環学という学問が生まれ、「体験談を大学でちょっと話をしてくれないか」と言われまして、思いがけず京都に通うようになって16年が経過しました。

 私は本を何冊か書いている中で、編集者の小鮒さんと出会いました。20年間のつきあいがあるのですが、去年、いい原稿があるので見てほしい、と言われて読んだのが、この小俣さんの本の原稿でした。

 オックスフォードの学者の書いた本だというので、面白くないだろうと思ったら、さにあらず。まず、日本語がいい。そして、難民問題という日常の私の生活からはかけ離れた題材でしたが、世界の趨勢から見れば、そのことも自分の問題として考えていかなければいけないとも思っていましたので、これは是非出版するべきだと言いました。こうして刊行された今、難民という大きな問題になかなか関心をもつのが難しかった方々に考える気運が広まることになっています。

 私はカキの養殖をしている漁師なのですが、山に木を植えています。つまり、海から川の流域全体を見る――そういうものの見方です。これは単にいいキカをつくるということではありません。だんだんわかったのですが、人類の文明の歴史は、四大文明にしても、川の河口から生まれているわけです。川の流域の環境が壊れれば、人類は滅びるわけですね。

 ですから私は、、おそらく難民問題の非常に根本的な問題も、森は海の恋人――川の流域の環境を調えるということと物凄く関係しているんじゃないかと、実は思っていたのです。

 オギュスタン・ベルク先生というフランス人の哲学者がいます。十数年前に京都の日文研(日本文化研究センター)に来られて、一冊の本に触れてショックを受けます。それは、和辻哲郎の『風土』という本です。

 ベルク先生はそれをフランス語に訳しました。その次に今西錦司の『主体性の進化論』、三番目には山内得立(この方は梅原猛の先生です)の『ロゴスとレンマ』、そして四番目の本として、なんと私が二十年前に書きました最初の本『森は海の恋人』というエッセイ集を翻訳され、昨年フランスで出版されました。

 それは私個人ではなくて、森は海の恋人という考え方が、和辻、今西、山内と並んで、登場したということです。ああ、やっぱりこういう出会いは素晴らしいと思いますし、そのことの本質を見極めてくださった田中先生の眼力はたいしたものだ、と申し上げて、私の話とさせていただきます。

――田中先生が希望の象徴というとで締めていただきました(笑)。私も田中先生には小俣さんの本が出る前から価値を見極め、お力になっていただきました。そしてこの場を設けるご発声をいただきました。感謝申し上げます。そしてご参加くださった皆さま、ありがとうございました。

※対談タイトル「見えない海がみえるように、会えない人を思えるように」は、2018年12月21日に開催された第1回京と森の学び舎での講演における京都大学フィールド科学教育研究センターのセンター長・徳地直子教授の言葉からいただいた。