【対談】 小俣直彦 × 田中克 + 畠山重篤 (司会:小鮒由起子)

森里海連環学は、里、つまり人の心にいきつく学問

――森里海連環学は、里、つまり人の心にいきつく学問だということですが、それを受けて小俣さんの思われることをお聞きできますか。

小俣: そうですね、そもそもこういった場――市民社会での対話――自体が大変意味があると思います。実は私は誤解してまして、日本ではあまりこういった場はないと思っていたのです。私の暮らすオックスフォードでは、毎週いくつもいくつもあって、ほとんど大学が主催しているのですが、一般参加も可能です。こういった対話を設ける場というのが最初の一歩としてはとても大事だと思いますし、意義があると思いました。

小俣: もうひとつ田中先生のお話を受けて、多様性について言わせてください。

 難民問題を我々の問題として考える、ということをテーマに講演ではお話ししましたが、これは日本社会で暮らす我々(今私は日本で暮らしていませんが)は今後、次の世代もひっくるめて見た場合に、外国にいる人=日本以外にいる人と共存していくということを問われる世の中に、否応なしになっていくと思います。

 難民というのも多様性の中のひとつのグループに過ぎません。

 人間としての多様性ということを考える上で、難民問題というのは一つの題材でもあると思います。そういう人たちと、できるだけピースフルに……少なくとも相手の存在は認める、それが多様な社会であって、そういう社会のほうがイノベーションが起き易いという学術研究もあります。そういう世の中になっていくのがいいのかな、と漠然と思っています。

――今後への言及をいただいたところで……。小俣さんがこの本を出されたことで、若い世代からの反響や熱心な問いかけが届きました。田中さんも高校生との活動など、明るいニュースを発信なさっています。

 次の世代に見えている希望なども含めて、今後へのイメージをお願いします。

田中: 若い世代のことの前に、やはり我々シニアの役割の話です。

 諫早湾を見渡した植樹祭をやるために力を出してくれたのは、地元の85歳の林業家でした。その方にある人物が「あなたは開門派に利用されているだけではないのか」と言ってきた。その方は、「森と海を繋ぎ、自然を豊かにするのに、開門派も非開門派もありゃせん!」と一喝された。

 もうひとつ面白いのは、やはり有明海に面する柳川での話です。柳川の掘り割りは三百数十年の歴史をもつ歴史資産で、ものすごく大事な人工の水環境です。そういうところをちゃんと生かして、絶滅危惧種の野生のウナギを復活させようということを高校生の皆さんでやり始めた。

 ウナギが復活すれば勿論すばらしい。けれど目的はそれだけではありません。

 掘り割りにウナギを復活させるよりも、掘り割りを自分たちのふるさとの大事な歴史資産として生かす、そういう人間が育たない限り、掘り割りにウナギがもどっても何もなりません。

 掘り割りで野生生物とともに一緒に遊ぶ子どもたちをどう生み出すか、それを高校生や小中学生を巻き込んで、もう一度、原体験としてのそれぞれの自然を取り戻せるか、ということが肝なのですが、文科省は「危険な山や川へ遊びに行ってはいけません」と言う。この壁をどう取り外すかです。

小俣: 一週間ほど前に日本に帰ってきて、東京でもいくつかこういった場を持たせていただきました。感銘を受けたのは、大学生や大学院生、あるいはもう少し上のNPOの方とか若い人たちが集まる団体、今日もそういった方にお越しいただいているようですが、アクションを起こす人たちが増えているな、ということです。

 田中先生の「行動なしにはコトは動かない」という言葉がありましたが、知識を実践に移す――まさに、そういうことを担う若い人たちにたくさんい出会い、素直に感銘を受けました。 自分もやっていかなくてはいけないな、と思いました。

 世代ということで言えば、若い世代や学生の方だけでは、いろんな動きは途絶えてしまうと思うんです。金銭面のことや発言力などを考えた時に、社会的な影響力を持つ方というのも世の中にいます。若い世代の突き上げる動きと同時に、しかるべき立場にいる人たちの発信力はまた別次元のものがありますので、やはりそういう人たちに賛同していただくというのは、たいへん大事だと思います。

――そうてすね。若い人たちの動きに上の世代が刺激を受けて、双方からいい繋がりが生まれている瞬間に立ち会えることが、東京のイベントでもいろいろありました。今日のこの場での話も、皆さま、それをまた周りの方に語り繋げていただければと思います。