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研究ハイライト

森でシカが増えると、川の魚は増える?減る?―長期観察から見えてきた森と川の意外なつながり―

概要

 京都大学フィールド科学教育研究センターの中川光特定助教 ( 研究当時、現:同東南アジア地域研究研究所特定助教)は、ニホンジカの過剰な摂食による森林環境の変化が、川の魚の個体数の増加・減少にも影響を及ぼしている可能性があることを、京都大学芦生研究林において11年間継続してきた魚類と生息環境の観察によって示しました。
 シカの個体数が増えすぎて農作物への被害が増えたり、林床にはえる植物が食べ尽くされて地面がむき出しになってしまったりするなどの影響が、日本ではこの 20 年程度で大きな問題となっています。シカによる過剰な摂食は、森林や草原の環境を大きく変化させるため、そこにすむ昆虫や小動物などにも影響が拡がることが知られています。一方で、シカの個体数の増加が、森林と接している河川の環境やそこにすむ生き物にあたえる影響は、ほとんど検討できていませんでした。本研究では、シカによる大規模な林床植物の食べ尽くしがおこっている芦生研究林において、食べ尽くしが発生してから 10 年以上、河川環境と魚類の個体数の変化を観察し続けたデータをもとに、シカによる森林環境の変化が河川の生態系にどのような影響をあたえるのかを検討しました。

芦生研究林内を流れる由良川において、2007年5月から2018年6月にかけて、シュノーケリングによる魚類の個体数のカウントと環境の測定を行いました。その結果、調査地の川では森から流れ込んだ土砂が堆積して砂に覆われた川底が増える一方で、大きな石に覆われた川底は減少しました。そして、この環境の変化に対応して、魚類では大きな礫( れき)を好むウグイという種が個体数を減らした一方で、砂地を好むカマツカという種が増加する傾向が観察されました。この結果は、現在日本だけでなく世界中で問題になっているシカの個体数の増加の影響が、森林だけでなく、河川の環境や生き物たちにまで拡がる可能性があることを実際の観察データをもとに示した貴重な研究と言えます。
本研究は、2019 年 6 月 7 日に米国の科学誌「Conservation Science and Practice」にオンライン掲載されました。

1.背景
地球上には、森や川、海など様々な環境があり、そこには多様な生物が生息しています。こうした多様な生態系は、大気の循環や水の流れ、さらには生物の移動などによってお互いに結びつき、影響し合いながら存在しています。そのため、ある生態系で生じた大きな変化は、ときに他の生態系に思わぬ影響をあたえることがあります。こうした生態系のつながりによる環境変化の影響の拡がりを明らかにし、それがおこる仕組みを理解することは、環境開発が行われる際のリスクを予想したり環境保全の方針を決定したりするうえでとても重要です。
日本では、シカの個体数の増加による農作物への被害の増加や、森林の植物が食べ尽くされて地面がむき出しになってしまったりするなどの影響が、この 20 年程度で大きな問題になっています。シカによる影響は、森林や草原の環境を大きく変えることで、植物だけでなく昆虫や小動物などにも拡がっていくことが知られています。一方で、シカの増加が森林と接している河川の環境やそこにすむ生き物にあたえる影響は、ほとんど検討できていませんでした。河川への影響の解明が進まない理由としては、シカの影響と他の要因の影響を区別することが難しいということがあります。例えば、森林のシカに植物が食べられて地面がむき出しになると、雨が降った際に川に流れ込む土砂が増えると予想できます。しかし、土砂の増加は人間による森林伐採や農地の拡大などによっても生じるため、上流に人が住んでいる場所では、川に流れ込む土砂が増えて環境が変わったとしても、シカが増えたことが原因だと特定することは困難です。さらにこうした環境の変化は一般に何年もの長い時間をかけておこるため、実際にその影響を確認するには長期にわたる観察が必要です。
京都大学芦生研究林は京都府北部を流れる由良川の上流部にあり、そこでは多様な林床の植物をはじめとした豊かな自然が人による開発の影響を受けることなく大学の管理下で数十年にわたり維持されてきました。しかし、2000 年代に入ってからシカによる林床の植物の食べ尽くしが深刻化し、2006 年ごろから林内の大部分の地面がむき出しの状態となってしまいました。
本研究では、広大な森林と河川が開発などの影響がない状態で維持されてきた芦生研究林において、シカによる林床植物の食べ尽くしが発生してから 10 年以上、河川環境と魚類の個体数の変化を観察し続けたデータをもとに、シカによる森林環境の変化が河川生物にどのように影響するのかを検討しました。

2.研究手法・成果
由良川本流の芦生研究林内での最下流部(集水面積 36.5km2)において、2007年5月から2018年6月にかけて、毎回同じ方法で、シュノーケリングによる魚類の個体数のカウントと環境の測定を行いました。その結果、調査地では当初の予想通り森から流れ込んだ土砂が川に堆積し、砂に覆われた川底が増える一方で、大きな石に覆われた川底は減少していました。そして、この環境の変化に対応して、魚類では大きな礫を好むウグイという種が個体数を減らした一方で、砂地を好むカマツカという種が増加する傾向が観察されました。
この結果は、現在日本だけでなく世界中で問題になっているシカの個体数の増加の影響が、森林だけでなく、河川の環境や生き物たちにまで拡がる可能性があることを、実際の観察データをもとに直接的に示した貴重な研究と言えます。

3.波及効果、今後の予定
本研究では、シカの過剰な摂食による森林環境の変化が、川の魚の個体数の増加・減少にも影響を及ぼしている可能性があることを、長期にわたる魚類と生息環境の観察によって示しました。このことは、河川環境の管理や保全について検討する際、例えば、漁業の対象となる魚が減ってしまった場合などに、川の環境の変化のみに注目するのではなく、ときには川と接する周辺の環境(集水域)も含めた対策が必要となりうることを示しています。一方で、シカによる森林環境の変化の影響は、今回観察した場所よりも下流の、より大きな川や他の川でも生じていると考えられます。先に述べた通り、人間活動の影響もある場所でのシカの影響の検証は、検証方法などに難しい問題もありますが、今後の重要課題の1つです。

4.研究プロジェクトについて
本研究は、日本学術振興会 科研費若手研究(19K15857)およびグローバル COE プログラム A06「生物の多様性と進化研究のための拠点形成」の支援を受けて行われました。

<研究者のコメント>
この研究は、長期にわたり広大な自然環境が研究のために維持されてきた芦生研究林があったことでできた研究です。現在、研究林では様々な分野の研究者や行政、地元住民らも協力して、森林環境をシカによる捕食 の影響が生じる以前の状態に戻す努力が進められています。今後、いつになるかはまだわかりませんが、芦生の林床に豊かな植物がもどった際には、川の環境もまた、以前の状態に戻っていくのかを検討したいと考えています。

<論文タイトルと著者>
タイトル:Habitat changes and population dynamics of fishes in a stream with forest floor degradation due to deer overconsumption in its catchment area
(シカの過剰な摂食によって集水域の森林下層植生が劣化した河川における、魚類の生息環境の変化と個体群動態)
著 者 :中川 光
京都大学フィールド科学教育研究センター*
*投稿時点での所属 (現在は京都大学東南アジア地域研究研究所)
掲 載 誌: Conservation Science and Practice
DOI:https://doi.org/10.1111/csp2.71

<お問い合わせ先>
中川光(なかがわ・ひかる)
京都大学東南アジア地域研究研究所・特定助教
E-mail:hikarunakagawa@icloud.com

芦生研究林で見られた森林と河川環境の変化(上段, シカ増加前(1998年)と後(2008年)の研究林内の様子(左,柴田昌三・京都大学教授:右,吉岡崇仁・同教授より提供); 中段, 調査開始時(2007年)と終了時(2018年)の魚類の観察地点での川底の様子; 下段, 調査期間中に減った魚種(ウグイ)と増えた魚種(カマツカ))

2019年6月7日