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研究ハイライト

芦生研究林のミミズ研究から

京都大学名誉教授
渡辺弘之

ミミズ研究のはじめ

大学院での研究テーマに「森林生態系における土壌動物の役割」を選んで、芦生で土壌動物研究を始めた。初めて芦生へ入ったのは1961年5月の連休だった。京都から周山経由安掛までJRバス、そこから京都交通のバスに乗り換え、終点田歌へ、そこからは歩いて須後に着いた。夕食時だけ電灯が点いたが、そのあとは石油ランプだった。次の日は内杉谷をつめケヤキ峠を越え、下谷の丸木橋を何度も渡り、ドイツトウヒ林の中を抜け、ススキ原の中に立つ長治谷小屋へたどり着いた。須後から長治谷まで旧歩道を歩いた人はもう少ないようだ。

大学院の5年間、その後、助手に採用され芦生演習林に勤務した6年間、学位論文作成のため、芦生研究林内のブナ林、スギ人工林、ススキ草地、竹林など、ちがった植生下で、ミミズ、ヤスデ、ムカデ、ダンゴムシなどの大型土壌動物の個体数・現存量を調べた。それをもとに土壌中での土壌動物の垂直分布、植生でのちがい、令級のちがうスギ林と天然林を比較しての森林伐採の影響、落葉量・落葉堆積量からの落葉の平均分解率と土壌動物の現存量の関係などについて報告してきた。

土壌動物調査のための土堀りはたいへんだった。深さ50cmあるいはもっと深くまでの土をビニールシートの上に掘りだし、一日中、ピンセットで眼に見える動物を採集していた。ということは、大型土壌動物の数を数え、重さを量っただけだということだ。現存量でもっとも大きな割合を占めるミミズも、その数と重さだけしか量っていない。どんなミミズだったのか、何種いたのかの記載がないということだ。

当時のこと、ミミズを同定してくれる研究者はいなかった。もちろん、ミミズの標本をつくり、自分でも少しは分類を試みたのだが、すぐにわからないものがでてきたし、論文に掲載するほどの自信はなかった。唯一種名のわかったのが学生宿舎とタケ林の間、当時テニスコートとして使っていた草地のクソミミズ(Pheretima hupeiensis)で、このミミズが1年間に地表に出す糞塊を回収し、ミミズの土壌耕耘量を量的に示した。ミミズが土を耕してくれている、それがどのくらいかを数量的に示したのだが、その当時、この論文は高く評価された。

どんな種類のミミズがいたのか、新種や分布上貴重な種がいたのかも知れないと、研究許可を受け、退職後、土壌動物調査を開始した。

芦生のミミズ

これまでの調査の結果、既知種のツリミミズ科のもの2種、フトミミズ科のもの10種と、種名の決定できないフトミミズ科のもの4種がいることがわかった。同定できたもの12種は、いずれも広い分布域をもつ普通種と思われるものであった。ミミズ類の同定は栃木県立博物館の南谷幸雄さんにお願いしているのだが、この未同定の4種は明らかにこれまで記載されたものとはちがい新種かも知れないという。分類の進んでいる昆虫や植物では採集された1個体でも新種記載ができるのだが、分類の進んでいないミミズ類では同定には内部形態の記載が必須なので、解剖しないといけない。破壊されない個体の模式(タイプ)標本を残さないといけないし、種内変異・個体変異が大きいので、少なくとも数個体以上採集し、その変異を調べないといけない。それがなかなか捕まらない。芦生から新種アシウフトミミズの記載を信じて調査を続けている。

シーボルトミミズの発見

びっくりしたのがシーボルトミミズ(P. sieboldii)の発見である。本種は長崎出島のオランダ商館つきの医師として滞在したシーボルト(Philipp Franz von Siebold)がオランダに持ち帰った標本で新種記載されたもので、日本のミミズで初めて学名をつけられたものである。四国でカンタロウ、紀伊半島カブラタ、カブラッチョ、九州でヤマミミズなどと呼ばれているように、ウナギ釣り、モズクガニ捕りの餌に使うなど、その存在は知られているものだ。暖地性とはいえ、伊豆半島・房総半島にも屋久島以南の南西諸島にも確認されていない。体長30cm、重さ45gにもなる大きなもので、それも金属光沢をした瑠璃色のよく目立つミミズである。

明らかに暖地性と思っていたこのシーボルトミミズが雪深い芦生研究林内にもいた。これまでに赤崎のトロッコ道、野田畑谷、上谷(岩谷)、杉尾峠と、田歌から若狭への五波谷峠などで7個体も捕獲している。一度など、逃がしてはいけないと一瞬に手がでて掴んだのだが、ミミズから粘液を飛ばされ、びっくりした。ミミズの背中にある背孔からでてきたのだろうが、こんな防衛術をもっていることを知った。こんな事例はまったく報告されていない。

このシーボルトミミズの捕獲が、いずれも10月、11月なのである。大きなミミズで成体で越冬することはまちがいないのだから、春でも夏でもいいのに秋しか捕獲されないことも不思議だ。