森里海連環学勉強会 第3回 2017-09

2017年9月26日、第3回森里海連環学勉強会を開催しました。

参照 
森里海連環学に関する意見交換会 第1回 (2016年10月12日開催)
森里海連環学勉強会 第2回 (2017年3月8日開催)


第3回森里海連環学勉強会の記録

研究プログラム委員会委員長 吉岡崇仁

【プログラム】
 日時:平成29年9月26日(火) 15:30〜17:30
 場所:フィールド研第1会議室(N283)および第2会議室(N285)
参加者:会議室30人、瀬戸8人、北海道2人 計40人
 内容:
  15:30~15:35 挨拶・主旨説明:フィールド研センター長
  15:35~16:35 話題提供1 内田由紀子准教授 こころの未来研究センター
         タイトル「こころと文化の相互構成プロセス:社会生態学的視点から」
  16:35~17:05 話題提供2 徳地直子教授 フィールド科学教育研究センター
         タイトル「森林からの窒素栄養塩の流出」
  17:05~17:30 総合討論

(提供された話題の概要)
(以下は、文責者の感想であることに注意してください)

〇話題提供1 内田由紀子「こころと文化の相互構成プロセス:社会生態学的視点から」

 フィールド研との共同研究を進めているこころの未来研究センターの内田准教授に、人と心の観点から話題提供いただいた。講演では、文化心理学が扱う課題について、日本と諸外国との比較を含めて紹介された。

1)幸福な個人とは
 社会科学のメインターゲットのひとつが「幸福な個人」の研究であるが、「幸福度」は、経済や物量といった客観的尺度だけではなく、主観的な尺度でも測定可能ではないかとの議論があると紹介された。
2)幸福観について
 Myers and Diener(1995)によれば、幸福な人物とは、「若く健康で、よい教育を受けており、収入が良く、外交的・楽観的で、自尊心が高く、勤労意欲がある者」という。これらの属性の多くが「幸福」につながりうることは理解できたとしても、違和感もある。そこで、次に紹介されたのは、「幸福観」と文化との関係の日本ー北米比較であった。北米の幸福観は、明るくポジティブ、個人実現志向であるのに対し、日本の幸福観は、控えめでバランス重視、関係志向であるとのこと。幸福感の意味を分析した演者の研究結果でも、物質的・個人的幸福を重視するミシガン大学生と、関係性・対人的幸福を重視する京都大学生という特徴が示された(Uchida and Kitayama 2009)。
→(北米の幸福観は、ノーベル経済学賞受賞者であるアマルティア・センが、貧困を「ケイパビリティー・アプローチ」や「潜在能力セット」の観点からとらえたことにつながるものと考えられる。)
3)幸福度について
 幸福度の国平均値と一人あたりのGDPの間には、正の相関が想定されるものの、
・GDPの増大に対する幸福度の増大は頭打ちになる。
・高GDP国の中で、日本の幸福度は低い。
・低GDP国でも、幸福度が高い国がある。
ことなどが見て取れる。
4)幸福感と満足感
 日本では「協調系幸福」が、欧米では「獲得系幸福」が志向されているようである。人生の満足度は、欧米・中国と比較して日本・韓国では低いこと、一方、協調的な幸福感については、諸外国も日本・韓国並みに高いという結果が得られている。内閣府による幸福度調査の結果から、日本人がもつ人生の満足度には、経済的な要素が含まれており、現在の日本の景気の観点から、日本人は平均的に満足度が低いこと、一方、幸福度は経済的満足度の低さにはあまり影響されていない可能性が示唆されている。これも日本(及び韓国)人の幸福観の特徴を示すものと考えられる。
5)自己観(Markus and Kitayama 1991)
 欧米では、相互独立的自己観があり、個々人は家族であっても明確に異なる自己が存在し、それが主体性の源となっている。一方、日本では、相互協調的自己観があり、個々人の境界が不明瞭で主体性の源が個人の境界からにじみ出している(関係性が重要である)。
→(桑子敏雄の「風景」と「わたし」の観点につながっている。環境と人との相互作用が、個人の幸福感という価値観につながっていることが示唆されたのだと思う。)
6)Awe(畏怖・畏敬)
 人が何に畏怖・畏敬の念を持つかということにも、日米の差があり、それらが幸福感や自己観などの文化差とも並行関係であることが紹介された。
7)文化差の要因
 日本の主体性、相互協調性のルーツを考察する上で、これらに影響を及ぼす文化差の要因について考察された。
 文化差の要因には、・生業、・人口の流動性、・風土-環境-気候、・病原体の流布、・遺伝子多型(ストレス耐性)などがあるが、文化の差は、他者との関係性の差と見ることができ、米作地帯の人(国)ほど関係性を重視した文化(認知)となるとのこと。日本の主体性のあり方、相互協調性のルーツとして、米作(農業)における「集合活動」がその要因のひとつとしてあげられた。日本の集落(農村、漁村、都市、その他)での社会調査からも、集合活動が多い農村集落で相互協調性が高く、集合活動が少ない漁村で自尊心が高くなることが示唆されている。
8)協調性と社会あるいは幸福について
 相互協調性が高い社会は、閉鎖的であると考えられるが、実際は、相互協調性が内部の信頼感を高めるため、むしろ開放性を導く(外部者を受け入れやすい)とのこと。この相互協調性、信頼感が開放性につながることを通して、社会関係資本となることが、西日本の集落サンプリング調査からも示唆された。
9)今後の展望
 日本における主体性をコミュニティにおけるつながりから研究すること、また、幸福感の観点から研究することが述べられた。また、こころの未来研究センターで取り組まれている神経科学・生物学・医学と社会科学とのコラボレーションについても紹介された。

10)講演を伺って:森里海連環学と心の問題
 森里海連環学の課題として、環境と里(人びと)の相互作用の解明をあげるとき、人びとの幸福度に着目することが新たな方向性のひとつになり得る。今回提供された文化心理学的な知見は、大変有意義であった。情報の咀嚼には、根気が必要と思われるが、今後の研究プロジェクトを構想するために活用したい。

〇話題提供2 徳地直子「森林からの窒素栄養塩の流出」

 第2回勉強会で、「健康な森は栄養塩を系外に出さないと言われる一方で、豊かな森の栄養が豊かな海を育てるとも言われる。この矛盾について、森林研究者に意見を聞きたい。」というコメントを受けて、徳地教授に話題を提供していただいた。
 森林からの窒素栄養塩の流出について、本来森林の窒素循環は閉鎖系循環(Closed cycle)であるため、窒素栄養塩を森は出さないことが説明された。森林環境に撹乱が加えられた場合、その撹乱が自然のものであっても人工のものであっても、その撹乱影響を緩衝(バッファー)する生物が森林には存在しているので、影響は小さく、短時間で復帰することができる。一方で、大気経由の窒素負荷が人間活動の影響で増大しており、そのため森林で窒素飽和という現象が見られるようになってきた。大気窒素負荷の増大は、森林伐採や土砂崩れ、風倒などと異なり、継続して影響を及ぼすものであるため、飽和状態になれば、窒素栄養塩が大量に流域に排出されることになる。この現象が、流域、沿岸環境にどのような影響を及ぼすかは、重要な問題であることなどが示された。
 森里海連環学が想定する連環の態様・様相は、流域毎に異なると考えられ、森林からの物質流出の影響も異なるであろう。今後の森里海連環学研究プロジェクトでも、流域間の差異の取扱いに注意が必要と思われる。

(参考文献)
Markus, H. R., & Kitayama, S. (1991). Culture and the self: Implications for cognition, emotion, and motivation. Psychological Review, 98, 224–253.
Myers, D. G., & Diener, E. (1995). Who is happy? Psychological Science, 6, 10–19.
Uchida, Y., & Kitayama, S. (2009). Happiness and unhappiness in east and west: Themes and variations. Emotion, 9, 441–456.