京都大学東南アジア地域研究研究所※1
中川光
概要
京都大学フィールド科学教育研究センターの中川 光特定助教とその共同研究者らは、魚の体表や糞などと共に水中に放出されたDNA (環境DNA) を分析する新技術を用いることで、これまでに何年もかけて採集や目視観察によって確認されてきた琵琶湖周辺地域の河川の魚類の86.4%を、たった一人の調査者による10日間のサンプリングで検出することに成功しました。
水中に漂う環境DNAを用いた生物の生息確認技術は、従来多大な労力と費用をかけて行われていたモニタリングの手間を劇的に軽減させうるものとして、近年注目が集まっています。中でも、次世代シーケンサーという機械を用いて行うDNAメタバーコーディングという方法では、多種の生物分類群を一度に調べることができます。本研究では、魚類の環境DNAを対象としたメタバーコーディング法について、これまで検証が行われていなかった河川での適用可能性を検討しました。
日本で最も河川魚類の種多様性が高く、分布がよく調べられている地域の一つである琵琶湖周辺地域において、2014年8月から10月に、10日間かけて、51河川102地点で水サンプルを採集し、河川水に含まれる環境DNAから生息魚種の推定を行いました。結果の妥当性は、採集や目視観察といった従来の調査方法から得られた複数の文献データに含まれる、1700地点以上の魚類の分布記録との比較によって精査しました。その結果、環境DNAから、文献から予想された44種のうちの38種とこれまで報告がなかった2種の合計40種の魚類のDNAを検出できました。この結果は、これまで多大な労力を要した、網羅的な継続モニタリングや、外来種の侵入状況といった速報性の要求される情報の収集における本手法の有効性を示しています。
本研究は、2018年2月28日に米国の科学誌「Freshwater Biology」にオンライン掲載されます。
1.背景
地球上には、様々な生物が森や川、海など多様な生態系を形成しています。こうした多様な生態系は、水や食料の供給や災害の防止、さらには地域の自然とともに発展してきた文化の基盤となるなど、人が生活する上でなくてはならないものです。こうした”生物多様性の恵み”を国全体として将来に残していくため、2008年に「生物多様性基本法」が制定され、その成立を受けて2010年には「生物多様性国家戦略2010」が閣議決定されました。この施策を推進する基盤となる技術の一つが生物多様性のモニタリングです。ところが、海や川や湖沼で魚の多様性をモニタリングするには、潜水観察や漁具による採捕など、大きな労力と費用をかけた長期間の調査が必要でした。さらに、魚の種類を同定するためには、専門的な知識と経験が必要でした。
魚を含む水生生物の体表の粘液や糞に含まれるDNAが、池や湖、川などの水中をただよっていることが最近になって明らかになり、「環境DNA」と呼ばれて注目を集めています。環境DNAを調べることで、水中にどのような生き物が棲んでいるのかを知ることができます。環境DNAは種に関係なく、全ての魚から放出されるため、環境中のDNAをまとめて分析して生物の種類を判定する「環境DNAメタバーコーディング」という技術をつかって、水中にいる多様な魚の種を一度に特定できるようになりました。この技術は、生物多様性のモニタリングにかかる費用と労力を劇的に小さくする可能性を秘めていますが、こうした新技術を現場での応用に繋げるためには従来の方法と比較した性能の検証が必須です。
研究グループではこれまで沖縄美ら海水族館の大型水槽や、舞鶴湾の魚類を対象に環境DNAメタバーコーディング技術の性能検証を行い、非常に高い精度で魚類の多様性を検出できることを示してきました。一方これまで河川での適用例はなく、検証が必要でした。そこで、日本で最も河川魚類の種多様性が高い地域の一つである琵琶湖周辺において、従来の観察に基づく文献による魚類分布データと環境DNAによる検出データの比較を行い、魚類環境DNAメタバーコーディング技術の有効性について検討しました。
2.研究手法・成果
2014年8月から10月に、10日間かけて、琵琶湖周辺(滋賀県全域と京都府、福井県、岐阜県、三重県の一部、約4,000 km2)の51河川102地点を車で回って水サンプルを採集し、河川水に含まれる環境DNAから生息魚種の推定を行いました。さらに、環境DNA手法との比較対象として、滋賀県立琵琶湖博物館が中心となって5年間かけて収集した1700地点以上におよぶ魚類の採集記録などの文献データを取りまとめ、地理情報システム(GIS)を用いた解析を行いました。
河川は、湖沼や海洋などと大きく異なり、上流から下流に常に水が流れているという特徴があります。そのため、環境DNAで検出された魚類の種組成のパターンは、各調査地点から6km上流までの範囲に存在する文献の記録と比較した時にもっともよく対応しました。そのデータの比較において、調査地点周辺で過去に報告されていた44種のうちの38種と、調査地周辺ではこれまで報告がなかった2種の合計40種の魚類のDNAが検出されました。これらのうちいくつかの魚種では文献情報による記録よりも多くの地点で環境DNAの検出があり、特に大きな川の深いところを好む種など、網などによる捕獲が難しい種では、環境DNAによる調査の有効性が高いことが示唆されました。さらに、近縁な魚種間(カジカとウツセミカジカ)での川の上流下流といった大きなスケールでの生息場所の違いなど、これまで知られていた個々の種の生態や種間の関係の理解に役立つような知見と一致する傾向を検出することもできました。これらの結果は、今回検討した魚類環境DNAメタバーコーディングの技術が、河川の生物多様性モニタリングにおいても費用対効果において非常に有用なツールとなりうることを示しています。
3.波及効果、今後の予定
本研究では、魚類の生息の有無について魚類環境DNAメタバーコーディングが河川でのモニタリングにおいても有用なツールであることを示しました。一方で、魚がそれぞれの地点にどのくらいたくさんいるのかといった量的な情報については、十分な検証はできていません。環境DNAによる魚類の生息量の推定は、現在いくつかの研究グループが取り組んでいる重要課題の1つです。
現在、環境DNAメタバーコーディングは魚類のみならず、様々な分類群(昆虫やエビ・カニなど)で試行・開発が進んでいます。この技術の確立は、労力や専門知識がネックとなって進んでいなかった、様々な生物から成り立つ生態系全体を俯瞰するような生物多様性のモニタリングや日本全国や世界中で同時に行う超広域モニタリング、生き物の移動や増減を1日または数時間単位で観測する高頻度モニタリングも可能になるかもしれません。さらに、今年の春には一般社団法人「環境DNA学会」の発足も予定されています。この学会での研究者間の情報交換や相互協力を介して、現場レベルでの簡便かつ確実性の高いモニタリング手法が構築されることで、企業や行政が行うアセスメントや環境保全活動を行う非営利団体などに利用が広がることが期待されます。一方で、この技術は希少種や絶滅危惧種の発見も容易にするため、それらの密猟や水産有用種の過剰捕獲にもつながる可能性があります。こうした技術の悪用に繋げないためにも、この技術を念頭に置いた法令的な対応も今後の課題と言えます。
4.研究プロジェクトについて
JST CREST (no. JPMJCR13A2)
科研費 (no. 14444453)
笹川科学研究助成 (no. 26-443)
<論文タイトルと著者>
タイトル:Comparing local- and regional-scale estimations of the diversity of stream fish using eDNA metabarcoding and conventional observation methods
著者:中川 光1・山本 哲史2・佐藤 行人3・佐土 哲也4・源 利文5・宮 正樹6
1京都大学フィールド科学教育研究センター
2京都大学大学院理学研究科
3琉球大学大学院医学研究科
4千葉県立中央博物館
5神戸大学大学院人間発達環境学研究科
掲載誌:Freshwater Biology
<お問い合わせ先>
中川光・東南アジア地域研究研究所・特定助教
E-mail:hikarunakagawa@icloud.com
2018年3月1日
※1 執筆時、京都大学フィールド科学教育研究センターに所属