京大フィールド研10周年に寄せて

社会連携教授 畠山 重篤


 平成元年から森は海の恋人というスローガンをかかげ、川の上流に木を植える運動を続けてきました。連鎖の源となる植物プランクトンの発生に関与しているという自然科学的要因があることも知ったからです。また、この行動には川の流域に暮らす人々に森と川と海は一つであることを知っていただきたいという願いも込められていました。
 言葉を置き換えれば、“人の心に木を植える”運動でもあります。このことは、教育学、社会学的な分野と言えます。しかし、それまでの学問体系は縦割りで、このことは別物として位置づけられていました。
 10年前、三陸気仙沼湾の一隅に、林学、河川生態学、水産学の三人の博士が来られ、京都大学は“森里海連環学”という世界で初めての学問を立ち上げました。是非協力していただきたいというお話を頂いた時の感動を忘れることはできません。
 よくぞ“里”という言葉を入れてくださったと思いました。私たちの“森は海の恋人”運動の考え方そのものだったからです。
 全学共通科目である森里海連環学の一コマを担当することになり、学生諸君に漁民からのメッセージを伝えると、予想以上の関心を示してくれました。
 また、毎年少人数セミナーの諸君を受け入れ、気仙沼湾に注ぐ大川河口から上流の植林地までのフィールドワークを行ってきました。海辺から川の流域を通り森まで往復することは、突き詰めれば“人間とは何か”を考えることであり、若い学生諸君に与えた影響の大きさは想像をはるかに超えたものでした。
 20年にわたる活動の結果、大川の水質は向上し、6万尾を超える鮭の遡上を見るまでになりました。夢にまでみたウナギも現れ、生物を育てる海の力は確実に向上していました。そこに、2011年3月11日東日本大震災による巨大津波が襲ってきたのです。
 海辺から生物の姿がまったく消えてしまい、死の海と化したのです。しばらく絶望感だけが漂っていました。
 2か月後、フィールド研の先生方が調査チームを結成され気仙沼湾に到着しました。
 “カキが食べきれないほどプランクトンが繁殖しています”。生涯忘れることのできない報告を受けました。津波の被害はもともと海だった浅海を埋め立てた地に集中しています。
 背景の森や川は健全です。森・里がしっかりしていれば、海は復活します。
 千年に一度の経験を経て、森里海連環学の方向性は揺るぎがありません。

ニュースレター31号 2013年11月