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研究活動

退職記念特集 退職するにあたって

森林資源管理学分野 竹内 典之


 1963年に農学部林学科に入学してから44年、1971年に大学院博士後期過程を中退して演習林助手に採用されてからでも36年弱の長期にわたって京都大学に席をおいてきました。

 最初の勤務地は、北海道東部根釧台地の北西隅に位置する標茶町に所在する北海道演習林でした。北海道演習林には1981年まで足掛け11年間勤務し、(1)根釧内陸部の湿性景観にもっとも大きく関わっていると考えられる季節凍土に関する研究、(2)拡大造林期に盛んに北海道に導入されたカラマツの人工林の密度管理に関する研究、(3)白糠区における針広混交林の動態に関する研究などに従事しました。一日中気温が氷点以上にならない真冬日に山スキーで歩き回ったフィールド調査や北海道大学低温科学研究所凍上部門での資料や情報収集のために夜行列車で札幌に行き、また翌日の夜行列車で標茶に戻ってすぐにフィールドに出たことなど、今振り返ると若い日の楽しい思い出として残っています。

 和歌山演習林での勤務は、1982年8月台風直後の赴任になり、台風被害の跡始末に大わらわの職員の皆さんに多大な迷惑をかけることから始まりました。1993年4月までほぼ11年間の和歌山県清水町での生活は、子供たちが和歌山市内の高校に進学したため毎週のように送り迎えをしたり、2~3週間に一度の割で有田川下流の箕島まで買い物に出たりと大変なこともありました。しかし、演習林の地主でもある海瀬氏の好意で借り受けた同氏の旧宅は、有田川の水音が聞こえる清水町の街はずれにあり、私が中学生まで過ごした実家を思い出させてくれました。和歌山演習林の所在する清水町は、森林率も人工林率も極めて高く、天まで届くかと思われるスギ・ヒノキ人工林が広がっています。演習林も拡大造林期以降のスギ・ヒノキ人工林が多く、間伐遅れで林床が暗くて下層植生がほとんど無くなってしまった林が多々ありました。ちょうど同じ時期に阪本奨学会の主事に任命されたこともあって、吉野と和歌山のスギ・ヒノキ人工林の密度管理に関する比較研究から着手しました。モミ・ツガを主とした針広混交林の動態に関する研究などにも関心は大いにありましたが、和歌山演習林での11年間はスギ・ヒノキ人工林の実態調査や密度管理試験に追われる毎日でした。

 1993年4月に教授に昇任するとともに京都に戻ってきました。カシノナガキクイムシによるナラ枯れが兵庫県北部や滋賀県余呉町など近畿地方の北部にも広がり始めた頃で、四手井綱英先生が「自然環境の変化が大発生を引き起こしたのかもしれないし、大発生は森林環境を変えてしまうかもしれない。」といったようなコメントを新聞紙上でされていたのを思い出します。農学部・農学研究科では学部・大学院改組に向けての会議が連日のように開催されていました。1995~97年には農学部・農学研究科の改組と大学院重点化が進められ、1998年4月から演習林は農学部附属施設から農学研究科附属施設へと転換されました。これに伴って、演習林全教官は、森林資源学講座を組織し、森林科学専攻の協力講座として大学院教育に参画することになりました。

 演習林においては、総務省や文部省から投げかけられていた適正規模の問題や利用拡大の問題等への対応に苦慮していました。当時演習林長を努められていた神崎康一教授から問題解決に向けて「演習林改革案」や「全学共同利用フォレストステーション案」などが提案されましたが、いずれも日の目を見るには至りませんでした。そのような状況の中で、1996~97年に全学規模で「環境フォーラム」が開催され、「京都大学における地球環境学教育研究構想」が立案され、その構想の一翼を担うべく「フィールド科学教育研究センター」が2003年に設立され、演習林も同センターに参画することになりました。

 この間、ほとんど毎日のようにフィールドを走り回っていたのが嘘のように、フィールドに出られる時間がどんどん少なくなっていきました。そのような中で、500年以上の歴史を有する吉野林業に関わることによって芽生えていた「日本人と森林の歴史に関する研究」に手をつけることにしました。この研究を進めることによって、里が森や川や海に、森の減少や劣化が川や里や海にどのような影響を与えてきたのか、また、与えているのかが少しずつ分かるようになっていきました。そのような時期にセンター長の田中克教授と出会いました。当時芦生演習林長をしていた私が同教授の「少人数セミナー」のお手伝いをしたのが始まりです。わずか数日の合宿でしたが、私には得るものが多々ありました。

 センターへの移行後は、全学共通教育やシンポジウム・講演会など各種の社会連携活動を通して、センター設立の意義、「森里海連環学創生」の現在的意義や森里海の新たな連環創造にとっていかに森の保全が必要性あるかなどについて、教育や広報活動を行ってきました。残念ながら研究面ではほとんど寄与できませんでしたが、今年から仁淀川における研究プロジェクトも本格的に動き出すこととなっていますので、退職後も微力ではありますが私なりの活動を展開することによって、センターの教育研究に少しでも貢献できればと考えています。

ニュースレター10号 2007年3月