京都大学名誉教授・初代センター長 田中 克
“森は海の恋人”は、自然の循環の根幹を理性と感性を見事に融合して言い表した不朽の名言といえるでしょう。この運動を牽引されてきた畠山重篤さんが、奇跡の復活を願う多くの人々の願いも叶わず、2025年4月3日に永眠されました。
2003年に森や海に関わる現地教育研究施設を統合して京都大学にフィールド科学教育研究センターが発足しました。そして「森里海連環学」を生み出すことになりました。その理念は、全ての生き物にとって必須の、悠久の時を経た海と森の間の水の循環の再生を根幹に据え、それに関わる人のあり様を問うものです。
宮城県気仙沼市舞根のカキやホタテガイの養殖漁師である畠山さんは、このような水循環が現場に生きる人々にとっては当たり前のこととして、1989年に海を再生するために源流域に木を植える活動を始めていました。それが“森は海の恋人”運動であることを、私は京都で開催された世界水フォーラムで知ることになりました。2003年10月に畠山さんのもとを訪ね、11月のフィールド研創設記念式典にお招きして基調講演をしていただきました。
“森は海の恋人”運動は、漁師による植林活動として社会的に認識されていますが、その真髄は流域の環境意識の啓発、とりわけ未来を担う子供たちの‟心に木を植える”活動です。フィールド研にとっても現場での教育が最も重要と位置づけ、畠山さんを「社会連携教授」としてお迎えし、毎年の全学共通教育での講義と気仙沼での「少人数セミナー」を通じて、学生の世界観を変えるほどの多大な貢献をしていただきました。
2011年3月11日に発生した宮城県沖での巨大な地震と津波によって沿岸生態系と沿岸地域社会は壊滅しました。これらの復活の過程を森里海のつながりの視点より克明に記録する「気仙沼舞根湾調査」が、“森は海の恋人”運動と森里海連環学の協働として今なお継続され、新たな森里海連環の深層の解明が進められているのも、畠山さんという重鎮の存在のおかげです。今は亡き畠山さんの想いや功績を世界に広く普及するためにも、「三陸の叡智」を世界に発信する気持ちを新たにしています。
日本古来の先人の知恵としての「魚付き林」思想を流域の森全体と日本の沿岸汽水域全域の関係にまで普遍化した畠山さんの“森は海の恋人”思想は、日本が誇る叡智です。混迷を深めるばかりの世界を、全てのいのちを育む水の循環に裏打ちされた平和な世界に再構築し、続く世代に送り届ける道を開く「森里海連環学」の深化を誓い、その功績に深甚の敬意を表します。
畠山 重篤 社会連携教授 追悼記事