舞鶴水産実験所長 益田玲爾
フィールド研の創設記念シンポジウムで初めて、畠山重篤さんのご講演を伺った。そのお話の面白さに衝撃を受け、著書を買い求めて読み、さらに心酔した。以後、何度も講演を伺ったが、そのたびにネタは入れ替わり、会場は常に盛り上がる。
山口県の宇部へフィールド調査に行った際、重篤さんとご一緒する機会があった。その際、講演のコツについて尋ねたところ、「聴き手の気持ちになり、十分にリサーチすることだ」と教わった。その後、拙著を出版した時は、厚かましくも書評をお願いした。
震災の折、無事であることを伝え聞き安堵したが、その際、「こちらに来て潜水調査し海の回復の様子を記録して欲しい」との要請を受けた。津波からまだ2ヶ月、現地へのアクセスもままならぬ中の訪問であったが、訪れた我々研究者がむしろ重篤さんを始め畠山一家に元気を頂いた。
津波の後、東北沿岸のほとんどの地域では巨大な防潮堤が築かれる中、気仙沼の舞根地区の集落は高台に移転し、津波で生じた湿地はそのまま残すことになった。この湿地の保全でも、重篤さんは中心にいた。
舞根湾の潜水調査はその後も続け、重篤さんにお出会いすることはしばしばあった。メダカが暮らすようになった湿地の風景を好み、大きな黒い愛犬と散歩しておられた。お出会いするたびに言われたのは、「論文なんかどうでもいいから、次の本を早く書きなさいよ」とのお言葉だった。
フィールド研の森里海連環学が追いかけ、そして背中が見えてきた「森は海の恋人」運動の創始者は逝ってしまったが、足跡はしっかり残っている。偉大な先人の描いた未来に向けて、我々も前に進みたいと思う。
畠山 重篤 社会連携教授 追悼記事