里地生態保全学分野 梅本信也
古座川の概要と現状
古座川は、本州中部の紀伊半島南部に鎮座する霊峰、大塔山(標高1,121m)を源流に持ち、緩やかに太平洋へ注ぎ込む、全長が約56kmの清流である。7本以上のきわめて清浄な支流を持つ。古来より熊野と呼ばれている地域の南半分近くを古座川は集水域とする。流域は鬱蒼とした照葉樹林帯に覆われ、伝統的な文化構成要素が今なお息づく。最近、熊野地方の紀伊山地と霊場が「世界遺産」に登録されたが、古座川流域および暖流黒潮とともに古座川河川水の影響を強く受ける串本湾はそうした風土的基盤の一つである。
昭和31年(1956年)、古座川本流中流部に治水と発電を主な目的とした七川(しちかわ)ダムが完成、供用された。ところが、発電のための水位調節可能幅が狭小な上に、日本一の多雨地帯に近く、台風や集中豪雨に見舞われるため、ダム施設そのものを洪水から守るべく、放流または緊急放流を実施してきた。この放流処置の結果、ダムの下流、特に河口域から串本湾に広がる里海の生態系に甚大な影響を及ぼすことになった。流域および湾岸住民からは、ダム設置やダム放流とそれに伴う水質量の変容が、近年見られる魚貝類や青海苔の漁獲量の減少と関連しているのではないかと噂されて来た。
古座川の水質
古座川本流は、中流地点「出会い橋」で、ダムを上流部に欠く小川(こがわ)という支流と合流する。この合流地点へダム放流最中に見学に行くと、大変興味深い光景に遭遇できる。すなわち、ダムの下流域に発生する本流の白い濁水と小川から注ぎ込む穢れなき清流とが鮮明なコントラストを作り、その「潮目」はずいぶん下流まで続いていくのだ。(写真)
一方、古座川水体をつぶさに観察すると、いくつかの濁りの類型を認めることが出来る。流域住民と私たちの観察を総合すると、白濁り、笹濁り、渋濁り、土濁り、緑茶濁り、が列挙できる。笹濁りは薄緑を呈し、通常降雨の後に現れ、アユの行動が活発となる。渋濁りは少雨後だけに一時的に発生、赤ワイン色を呈し、アユの行動が緩慢となる。緑茶濁りは、まさに緑茶色で初夏の豪雨の後に一定時間現れ、水面から草や葉の香りが沸き立つ。土濁りは、水田作業のひとつ・代掻き時や流域の小規模な土木工事の際に現れる。こうした濁りは小川などの支流で認められやすいが、しばらく流下すると濁りが消え去る。問題は七川ダムの下流で発生する白濁りである。この濁りの中ではアユの行動が極めて不活発となる。河口域まで消失しない白濁りの正体は明らかではないが、ダム湖底に堆積したヘドロという説もある。従来の水質調査手法に加えて、濁りの類型という視点からの検討も必要であろう。各種の濁りの起源や成分、その生物学的影響の解明が待たれる。
当センターが2004年9月に実施した「森里海連環学実習Ⅰ」で、七川ダム湖水を予備的に水質分析した結果、アルミニウム、カルシウムなどいくつかの分析項目において、支流の小川が示す濃度の50~100倍を示した。さらに、湖水のpHは9以上を示した。ダムとダム湖水、水力発電関連装置、放水系と白濁りとの関係は不明であるが、ダムとその関連要素が古座川水系や串本湾の水質や生物相に及ぼす影響に興味がもたれる。
古座川プロジェクトの目的と意義
今年2004年から着手した「古座川プロジェクト」の第1の目的は、この古座川水系を中心に据え、森林生態系と沿岸海洋生態系の密接な関連を、里域からの影響を考慮しつつ明らかにすることにある。また、本プロジェクトから得られた研究調査成果を地域住民に還元し、社会連携しながら適正な古座川と串本湾を取り戻すことが第2の目的である。こうした背景のもと、本プロジェクトから得られる共生モデルが国際的に認知され評価されるように最善の努力を注ぎたい。
当センターが目指す森里海連環学の創生を、フィールドに軸足を置きながら、理解されやすい形で実行するためには、対象とする森林、川、里、海が程よい大きさであることが望まれる。また、対象里域がもつ文化的基盤の同質性も重要である。この点で、古座川水系は至適である。さらに、古座川および串本湾域とその近くには、当センターが擁する紀伊大島実験所や白浜瀬戸臨海実験所だけでなく、北海道大学和歌山研究林が位置し、長期にわたる総合的研究調査にも好適である。
2004年5月には、流域住民のご理解とご協力のもと、「古座川プロジェクト」説明会を行う機会に恵まれた。それが契機となって関係漁協が中心となり、8月には「清流古座川を取り戻す会」も結成された。森里海連環的発想を基礎にしながら、古座川の「水」に対する関係住民の関心はますます広がり、高まりつつある。
ニュースレター3号 2004年11月 研究ノート