ニュースレター66号 2025年 6月

FSERC News No.66

No.66 目次

ニュース

社会連携ノート

新人紹介

受賞の記録

研究者の異動
活動の記録 2025年1-4月
予定
2025年度 公開実習 予定
フィールド散歩
編集後記

*電子メールによる「FSERCニュースメール」を配信しています。配信を希望される方は、教育研究支援室(fserc-info@ のあとに mail2.adm.kyoto-u.ac.jp)にご連絡ください。

(2025年06月発行)

ねばねばナマコは新発見がいっぱい―ニセクロナマコの体内外に寄生するセトモノガイ― Co-Occurrence of Gastropods of the Genus Melanella (Mollusca: Eulimidae) Parasitizing the Black Sea Cucumber Holothuria leucospilota in Central Japan: Implications for Their Geographic Distribution and Parasitic Ecology.

中野智之 准教授らの研究グループは、ニセクロナマコに寄生するセトモノガイ属(Melanella)巻貝類を体外から2種、体内から2種の合計4種発見しました。本研究成果は、2025年6月18日に、国際学術誌「Zoological Science」にオンライン掲載されました。 [全文表示]

畠山重篤さんを偲び、森里海のつながりの再生を誓う

京都大学名誉教授・初代センター長 田中 克

 “森は海の恋人”は、自然の循環の根幹を理性と感性を見事に融合して言い表した不朽の名言といえるでしょう。この運動を牽引されてきた畠山重篤さんが、奇跡の復活を願う多くの人々の願いも叶わず、2025年4月3日に永眠されました。
 2003年に森や海に関わる現地教育研究施設を統合して、京都大学にフィールド科学教育研究センターが発足しました。そして「森里海連環学」を生み出すことになりました。その理念は、全ての生き物にとって必須の、悠久の時を経た海と森の間の水の循環の再生を根幹に据え、それに関わる人のあり様を問うものです。
 宮城県気仙沼市舞根のカキやホタテガイの養殖漁師である畠山さんは、このような水循環が現場に生きる人々にとっては当たり前のこととして、1989年に海を再生するために源流域に木を植える活動を始めていました。それが“森は海の恋人”運動であることを、私は京都で開催された世界水フォーラムで知ることになりました。2003年10月に畠山さんのもとを訪ね、11月のフィールド研創設記念式典にお招きして基調講演をしていただきました。
 “森は海の恋人”運動は、漁師による植林活動として社会的に認識されていますが、その真髄は流域の環境意識の啓発、とりわけ未来を担う子供たちの‟心に木を植える”活動です。フィールド研にとっても現場での教育が最も重要と位置づけ、畠山さんを「社会連携教授」としてお迎えし、毎年の全学共通教育での講義と気仙沼での「少人数セミナー」を通じて、学生の世界観を変えるほどの多大な貢献をしていただきました。
 2011年3月11日に発生した宮城県沖での巨大な地震と津波によって沿岸生態系と沿岸地域社会は壊滅しました。これらの復活の過程を森里海のつながりの視点より克明に記録する「気仙沼舞根湾調査」が、“森は海の恋人”運動と森里海連環学の協働として今なお継続され、新たな森里海連環の深層の解明が進められているのも、畠山さんという重鎮の存在のおかげです。今は亡き畠山さんの想いや功績を世界に広く普及するためにも、「三陸の叡智」を世界に発信する気持ちを新たにしています。
 日本古来の先人の知恵としての「魚付き林」思想を流域の森全体と日本の沿岸汽水域全域の関係にまで普遍化した畠山さんの“森は海の恋人”思想は、日本が誇る叡智です。混迷を深めるばかりの世界を、全てのいのちを育む水の循環に裏打ちされた平和な世界に再構築し、続く世代に送り届ける道を開く「森里海連環学」の深化を誓い、その功績に深甚の敬意を表します。

畠山 重篤 社会連携教授 追悼記事

「森と里と海のつながり」の中心にいた畠山重篤さんを偲ぶ

副センター長・舞鶴水産実験所長 益田玲爾

 フィールド研の創設記念シンポジウムで初めて、畠山重篤さんのご講演を伺った。そのお話の面白さに衝撃を受け、著書を買い求めて読み、さらに心酔した。以後、何度も講演を伺ったが、そのたびにネタは入れ替わり、会場は常に盛り上がる。
 山口県の宇部へフィールド調査に行った際、重篤さんとご一緒する機会があった。その際、講演のコツについて尋ねたところ、「聴き手の気持ちになり、十分にリサーチすることだ」と教わった。その後、拙著を出版した時は、厚かましくも書評をお願いした。
 震災の折、無事であることを伝え聞き安堵したが、その際、「こちらに来て潜水調査し海の回復の様子を記録して欲しい」との要請を受けた。津波からまだ2ヶ月、現地へのアクセスもままならぬ中の訪問であったが、訪れた我々研究者がむしろ重篤さんを始め畠山一家に元気を頂いた。
 津波の後、東北沿岸のほとんどの地域では巨大な防潮堤が築かれる中、気仙沼の舞根地区の集落は高台に移転し、津波で生じた湿地はそのまま残すことになった。この湿地の保全でも、重篤さんは中心にいた。
 舞根湾の潜水調査はその後も続け、重篤さんにお出会いすることはしばしばあった。メダカが暮らすようになった湿地の風景を好み、大きな黒い愛犬と散歩しておられた。お出会いするたびに言われたのは、「論文なんかどうでもいいから、次の本を早く書きなさいよ」とのお言葉だった。
 フィールド研の森里海連環学が追いかけ、そして背中が見えてきた「森は海の恋人」運動の創始者は逝ってしまったが、足跡はしっかり残っている。偉大な先人の描いた未来に向けて、我々も前に進みたいと思う。

畠山 重篤 社会連携教授 追悼記事